倉渕巨樹の会・(東善寺HP) ●● 倉渕巨樹の会・巨木を語ろう… |
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矢筈山(浅間隠山1756.7m)の サラサドウダンツツジ巨木群 |
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調査 倉渕巨樹の会 2016平成28年6月6日(月) | ||
◆位置:矢筈山は群馬県の西の雄峰浅間山の東に位置し、浅間隠山・川浦富士とも呼ばれる独立峰である。南東側が高崎市倉渕町、西側が群馬県長野原町、北東面が群馬県東吾妻町に属し、碓氷峠から続く本州の分水嶺が北上して一ノ字山、留夫山を経て鼻曲山に至ると、分水嶺は90度角度を西に変えて浅間高原から浅間山に到るのに対し、鼻曲山からさらに北上する派生稜線は二度上峠を経て矢筈山(浅間隠山)に到る。 ◆登山ルート:矢筈山への登山路は南側からの倉渕側登山口が一般的で、登山口(二度上峠手前のカーブ)から約90分で頂上に達する。 北側ルートは東吾妻町須賀尾から林道ゲートをくぐって林道をたどり、さらに急な上りがあって林道入口(飯米場)から約2時間30分で頂上に達する。 ◆巨木群:倉渕側登山道の途中でミズナラ林にドウダンツツジが混じるようになると、次第に急な上りとなる。左右の木はよく見るとたくさんのサラサドウダンツツジであることがわかる。しかし、太さからいえば、頂上から吾妻側ルートを少し下った9〜7合目付近の巨木群に圧倒される。 杉や檜、ナラ、ブナなどと違って成長の遅い落葉低木のツツジがこれほどの太さであることは驚きである。巨樹・巨木の定義では地上1.3mで周囲3m以上の木、とされているがツツジにまでこの定義をあてはめるのは無理があろう。それでとりあえず矢筈山の「サラサドウダンツツジ巨木群」としておく。 ◆地積:群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢(旧応桑地区)に属するが、町の指定植物にはなっていない。 |
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倉渕側コース:6月10日前後の矢筈山はカラ松林の中にたくさんのヤマツツジが咲いて、すばらしい。これだけでも、来てよかったと喜ぶ。 | ||
登るほどにドウダンツツジが目立ち、花も咲いている。頂上付近にはレンゲツツジが咲き始めたばかり。とくにツボミの濃いビロウドのような色彩はすごい。 | ||
お願い:@直登降ルートは雨裂により、山肌が荒廃します。近道(直登降コース)を避け、大きくジグザグをとる(雨水がゆるく流れて山肌に染みこむ)ルートを歩いてください。 A頂上は登山者の踏みつけ→裸地化→土砂流失で三角点標石が40aも浮いて、倒れる寸前です(住職が高校生の頃は草地に踏み跡が1本吾妻側へ向かっているだけの山頂でした)。特に浅間高原側に入り込んで休憩すると、裸地化が進んで土砂流出により、ツツジの倒壊、山頂崩壊が起こります。例:鳥取の大山山頂は崩壊が進んで稜線縦走ができなくなっています。 |
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◆サラサドウダンツツジの巨樹群 とりあえず目立つものだけをあげると… 1,7合目付近 根回り 162a 樹高6.5m (仮称「矢筈ドウダン」) ロープの囲いがあって保護されている。 2, 9合目付近 根回り 120a 樹高約6m 3, 同 根回り 104a 樹高 約5m 一番太い枝(本来は幹か)が枯死している 4, 8合目付近 株から2本立ち上がっている 根回り90a+根回り87a 樹高6m 5, 同 同 2本立ち 根回り61a + 根回り60a 6, 同 1本立ち 根回り98a 7, 同 同 根回り96a 8, 同 同 根回り80a 斜めに生えている。 この他50a〜70aの太さのドウダンツツジがたくさん生えている。 |
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一番太いと思われる根回り162センチの仮称「矢筈ドウダン」は、下り道の右側で、ロープに囲われている。ほかの木は囲われていないから、踏みつけによる荒廃が心配で公開したくないという気持ちになる。吾妻側ルートはあまり登山者が入らない。しかし巨木が知られるとほとんどが直登ルートだから、踏みつけ→裸地化→登山道荒廃がすぐに起こる。今のうちに大きくジグザグをとるコースを作るのがいいと思う。 *▲計測以外の画像はすべてロープの外から撮影しました* |
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花はクリーム色に淡紅色のスジが入ったサラサドウダンだが、木の枝高くに咲いているためわからないから、葉や、木肌で見分けるしかない。看板もないから簡単にはわからない(看板はつけないほうがいい。急な斜面の山肌を踏みつけて木のそばまで近づき→裸地化→土砂流出→根元をさらわれて倒木 に至ることが目に見えている)。 この一帯は吾妻側登山道が北斜面になるため、ミズナラ、アオダモなどが高く茂った枝が上空を覆って深い森の雰囲気となっている。斜面は急で、北東側になるほど危険だから、十分注意して登山道から外れないようにして見てほしい。 ◆参考ページ(リンク):サラサドウダンツツジの花や葉がよく分かる |
第27回巨木を語ろう全国フォーラム 群馬・高崎大会 主管:倉渕巨樹の会 |
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第27回巨木を語ろう全国フォーラム 群馬・高崎大会 このページは公式ページではありません。 お申し込み・お問合せ等は下記の実行委員会事務局へお願いします。 |
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▲このポスター画像は一部未完成。 (基本的な日程や会場は変更がありません) |
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◆2014平成26年10月の全国大会は倉渕巨樹の会主管による同実行委員会が倉渕町で行います。 ◆25日(土)の講演・発表は参加無料・予約不要です。全日程の参加は有料の部分もあり8月から予約申し込みを受付けます。 ◆申込・問合せ先 第27回 巨木を語ろう全国フォーラム群馬高崎大会 実行委員会事務局 〒370-3492 群馬県高崎市倉渕町三ノ倉 303 高崎市倉渕支所地域振興課内 п@027−378−3111(代) |
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10月25日(土) 巨木を語ろう全国フォーラム 会場:道の駅 くらぶち小栗の里 高崎市倉渕町三ノ倉・国道406号沿い・倉渕支所前 ・基調講演・事例発表・鼎談などは 聴講自由・無料・予約不要です 午後1時 歓迎演奏 倉渕中学校音楽部 開会 挨拶 祝辞 |
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基調講演 | 巨樹巨木に生命を育む 長楽寺 住職 峯岸正典 師 |
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事例発表 | 群馬の名木、次世代木の育成事業 群馬県林業試験場 | ||||
鼎 談ていだん | 樹守人きもりびとの思い 薄根(沼田市)の大桑 石井ミツ氏 連取(伊勢崎市)の松 井野照司氏 司会 牧野佳央里(ラジオ高崎) |
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▼ 鼎談 巨樹を見守って暮らす日々を語る | |||||
▼石井としかつ巨樹絵画展 40年来描きためた巨樹の絵を公開。樹の本質を描きたいので、葉っぱは描かない、とか。 | ▼紙芝居「みんなをみまもる連取(つなとり)の松」も上演 | ▼薄根の大桑を語る石井ミツさん | |||
25日(土) ミニツアー 地元の巨樹・史跡めぐり 要予約・会費参加者のみ | |||||
A神木・名木コース | B三叉杉の御神木コース | C小栗上野介史跡コース | |||
▲戸春名神社の大杉―椿名神社のイチョウとケヤキ―浅間神社のカエデを訪ねます | ▲当地にもあった三叉の御神木を訪ねる 樹高25.3m 幹周3.5m 関連ページ:このページの最下部 「三頭木または三叉の木」 をごらん下さい。 ◇「三叉の木・三頭木はシヴァ神の鉾」 |
▲小栗上野介 遣米使節―世界一周で帰国後、横須賀造船所建設・日本初の株式会社「兵庫商社」設立など幕末に日本近代化を進めた人物の隠された業績と史跡を訪ねる。名木「小栗椿(黒椿)」が皆さんをお迎えします。 | |||
D映像観賞コース →→ | 別会場で映像 「御用木川下げ絵巻」などを観賞していただきます。 |
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25日(土)午後5時 交流会 全国の巨樹巨木ファンが巨樹・巨木を語り合い交流を深めるたのしい集いです 〈有料・要予約〉 |
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全国の皆さんをお迎えする大会の準備です | |||||
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のぼり旗が大会が近いことを知らせています | 連取の松で除草作業 見学でお世話になる連取の松へ会員が出かけてゆき、除草をして挨拶しました。地元の皆さんも応援に出てくれました。 | ||||
歓迎の看板作り 大きな杉の伐採された根っこを掘り出してきて、ていねいに皮をむいて、磨きをかけ |
ケヤキ板を選んで磨いた看板が、うまく収まるように刻みを入れてはめ込む ケヤキ板は重いから、なかなか思うように 納まらない 仕上がりは、当日のおたのしみ 出来た看板が、皆さんを受付で お迎えします |
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看板の板の場所を決めて加工し、 |
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文字を書いたケヤキ板を取り付け |
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出来上がり 当日は会場前に据えます。 *大会終了後は、看板を書き換えて販売します。 ご希望の方はお申込み下さい。 |
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10月26日(日) 県内巨木ツアー 4コースに分かれて群馬県内の巨木めぐりです 有料・要予約 |
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@ 赤城山コース 会場→(大戸の関所跡)→稲田のヤマナシ→市城のサイカチ→横室の大カヤ→三夜沢赤城神社のたわら杉→野のクス→連取(つなとり)の松→高崎駅→会場 |
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▲連取の松・町内会の手入れ作業 |
▲横室の大カヤ |
▲野のクス |
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A 榛名山コース 会場→榛名神社の矢立杉→金蔵寺のシダレ桜・(甲着人骨遺跡)→雙林寺のヒイラギ・モクセイ・カヤ・千本カシ→萩原の大笠松→高崎駅→会場 |
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▲榛名神社の矢立杉 |
▲雙林寺のヒイラギモクセイ |
▲萩原の大笠松・屋敷が三回下がった | |||
B 妙義山コース 会場→細野のヒガンザクラ→妙義神社の大杉→貫前(ぬきさき)神社のスダジイ・大杉→仁叟寺の大カヤ・モク・五輪桜→(多胡碑)→高崎駅→会場 |
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▲細野のヒガンザクラ 花が咲くときは見事 |
▲貫前神社 下がってお参りする独特の様式は珍しい |
▲妙義神社 大杉は富岡製糸場建設にも使われた |
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C 白根山コース 会場→(八ッ場ダム)→原町の大ケヤキ→伊賀野の大モミ→親都(ちかと)神社の大ケヤキ→泉龍寺の高野マキ→三嶋神社の杉並木→薄根の大桑→村主(すぐろ)の大ケヤキ→上越新幹線上毛高原駅→会場 |
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▲伊賀野の大モミ ▼いま枝折れした姿に | ▲ 親都神社のケヤキ | ▲薄根の大桑 |
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▲平成26年2月14〜15日の大雪で 太い枝が何本も折れ無残な姿に |
▲この時の積雪量は約90〜100センチ 400年来降った記録がない大雪で、勇壮な枝ぶりを見せていたモミの木が,すっかり見る影もないものになってしまった.。 写真提供:中之条町教育委員会 |
▲処理した枝でも、約300年の年輪が数えられた 残った先端にいい新芽が見られるから、あと50年もすればかなり復活することだろう。 がんばれ、伊賀野のモミ!! |
関連ページ |
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◆全国巨樹・巨木林の会(リンク) ◆倉渕巨樹の会(リンク) ◆2013伊豆大会(リンク) ◆参加の記録・県民リポーターの参加報告 ◆参加の記録・ブログ「八甲田の熊」さん |
下北半島の巨木を訪ねて 倉渕巨樹の会 第25回 巨木を語ろう全国フォーラム in青森大会 |
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2012平成24年10月11日〜14日 倉渕巨樹の会で参加 参加会員 8名 |
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11日夜8:00倉渕出発=関越道=北関東道=東北道= 12日朝青森着―浅虫温泉で朝風呂・朝食―9:30全国巨樹の会総会・昼食・全国フォーラム・交流会・ 13日巨木めぐりAコース:下北半島へ〜青森―横浜町―恐山―薬研温泉 14日薬研温泉―風間浦―大間―脇野沢港―蟹田港―青森IC=東北道=北関東道=関越道―高崎 15日―02:00帰宅 |
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▲会の専用車で出発 | ▲受付 会場の青森市民ホール(駅前)には会員受け付けなどのほか、マスコミ報道関係者受付も用意されていた | |
▲「青森県内巨木案内」コーナー | ▲総会 フォーラムの前にまず総会 | ▲プログラム |
▲開会式 青森市長や次回開催の伊豆市副市長などが並ぶ | ▲高橋進会長が挨拶 | |
▲基調講演 国立民族学博物館小山修三名誉教授の「縄文の森」 | ▲パネルディスカッション コーディネーターは青森大学田村早苗教授 | |
▲大会旗の引き継ぎ 青森から伊豆市へ 伊豆市副市長の挨拶「来年はぜひ伊豆へおいで下さい」 | ▲参会者 | |
▲総合司会 青森美人の○○さん | ▲交流会 青森国際ホテルはやはり駅のすぐ近く 津軽三味線などがあってにぎやかに「始まった | |
▲交流会2 思いがけず、「息子が東善寺に泊まったことがある」という夫妻が桐生から参加していた。 コンパニオンと記念撮影のオジサンも | ||
以下 青森の食べある記 日本海も太平洋も近く、魚が豊富で山菜もとれる青森はとにかくおいしいものがたくさん |
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▲交流会の二次会 食堂「おさない」はおいしい酒、肴が食べられる | ラーメンもうまかったなあ | |
▲青森魚蔡センターののっけ丼 500円1000円の券を買い、ご飯・味噌汁から魚まで好きなものを選び、のっけてもらって食べる イキのいい魚が好きなだけ食べられるから人気 | ||
▲浅虫温泉・鶴亀屋食堂のマグロ丼 とりあえずカラの小皿にマグロをどかさないとご飯が食べられないから・・・。なんともはや・・・ 右はかきあげ丼 | ▲大間の食堂「大間んぞく」 ここでもマグロ丼を食べて少しずつ帰り道に入った | |
下北半島の巨木 | ||
▲恐山街道の杉 近くに恐山の冷水▲ 街道わきに湧いている | ▲恐山の百面ブナ 異様な顔のコブがたくさん | |
▲恐山も参拝し | ▲薬研のおぐり(栗) | ▲薬研曾古部のヒバ |
▲大安寺の杉は三又の木だった | ▲関根観音様の杉 | ▲ここでバスの皆さんとお別れ |
下北半島の最北端・大間まで 大間でマグロ丼を食べた後、いっきに南下して群馬へ戻った。 |
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▲井上靖の文学碑 風間浦村・「アカエリヒレアシシギ」の一節が彫られていた | ▲明治維新後に会津藩士が入植して苦心した地でもある | ▲そして上州ゆかりの新島襄の記念碑もあった |
▲拓本 襄が箱館に渡る前2日間ここで天気待ちをした、とあるから拓本を採って行こう | ▲拓本が採れたぞ〜 | ▲本州最北端の碑 これは大き過ぎて拓本はムリ |
▲本州最北端の海岸を歩く男たち 海がうれしい群馬県人 | ▲仏が浦も見学し | ▲フェリーで陸奥湾を渡って帰途に就く 忙しい一日だった |
◆関連情報 倉渕巨樹の会青森大会をゆく |
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(青森大会感想文)
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▲1 純米酒「ねぶた」の箱 右手に三本槍を持つ |
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青森大会は、係の皆さんの心のこもったおもてなしをいただき、ありがとうございました。 パネルディスカッションでパネリスト高渕英夫さん(東北巨木調査研究会長)の 「東北地方の巨木のうち、幹が途中から三本に分かれている【三頭木・さんとうぼく】が神様の木として大事にされている」 という話は、面白く聞かせていただきました。新潟から北の地域の風習という話でしたが、同行した塚越会員(元営林署勤務)から、当地(高崎市倉渕町)にも【三又の木】を大事にする風習がある、と聞いて、灯台元暗しとはこのこと、ビックリしました。 当地の三又の木(▼写真2 倉渕町内・杉・樹齢200〜250年・足元に慶応3年奉納の石宮が十二様を祀る)もやはり周囲の木はすべて伐ったが「神様の木だから伐らないで残そう」と、この木だけは残したそうです。 伐らない理由として高渕さんは、「神様の木だから」あるいは「上が三本でバランスが悪く、倒すとどう転ぶかわからず危険だから」という理由を紹介していました。当地でも同様の説明がなされていますが、私は神様の木という理由が本来で、バランスが悪いからというあとの説明は、どうして神様の木なのか説明できなくなった後世の「伐らせないための説明」であろうと考えています。 ▼2 三又の木 倉渕町 ▼3 シヴァ神 ▼4 シヴァ神の三又の戟(鉾)「トリシューラ」 |
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では、なぜ三又の木は神様の木となるのか。 私はインドのヒンドウ教であがめられる三神(ブラフマー・シヴァ・ビシュヌ)のうちでも最高とされるシヴァ神(写真3)が武器として持つ三又の戟(ほこ)・鉾「トリシューラ」のイメージから来ているのではないか、と考えています。 いきなりヒンドウ教とは唐突に思われましょうが、シヴァ神は破壊と、破壊のあとの創造をつかさどり、世界を破壊するときはまっ黒い姿で現れることからマハカーラ(大黒)とも呼ばれ、仏教では大黒天として日本人にも親しまれています(日本では日本神話の大国主命と習合された姿となる)。 上州や信州の農村にたくさん見られる道祖神は、やはりシヴァ神のリンガ(男根)とヨニ(女陰)を祀るところから来ていて、縄文時代の石器には男根を形どった石棒(例:神奈川県立歴史博物館)があるほど古い。栃木・群馬県境の金精峠には金精様(男根)が供えられていましたし、日本各地には同じ趣旨の祭が継承されているほど、古くからインドの文化や習俗は日本に溶け込んでいる。 またインドでシヴァ神は舞踊を創始した神としても敬われるなどさまざまな力や性格を持つとされ、大自在天とも呼ばれるなど異名も多い。 さらにいえば、巷で女房は「山の神」「カミサン」と呼ばれ、寺では「大黒」という。つまり山そのものをシヴァ神に見立てるところから連想した言葉であろう。 そのシヴァ神が持つ三又の戟(鉾)は、インドや東南アジアではシヴァ神が描かれず三本槍だけでもすなわちシヴァ神、とする程にシンボル化されて有名で(写真4)、アジア地域一帯にこういう信仰が広まり根付いていると考えられる、と質疑応答で発言させていただきました。 そして大会二日目、下北半島の巨木を巡った後、薬研温泉のホテル売店でなにげなく買った純米酒「ねぶた」の紙箱を見て、驚いた。箱には毘沙門天が大きく目を見開いたねぶた絵が描かれ、なんとその右手に大きな三本槍がしっかり握られているではないか!(写真1)。昔からこの地方に三本槍=シヴァ神の信仰がしっかり根付いていることがこれで証明されたようで、うれしくなりました。 証明されたと言っても、まだまだ推論の域を出ませんから、とりあえず三頭木あるいは三又の木をシヴァ神の三本槍に見立てて神様の木として崇めているのではないか、という説を提示しておきます。 |
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群馬の三叉の木 いま2本 |
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群馬県内の三叉の木は次の二本が確認されている ◆地蔵峠の御神木「三叉杉」 ◆大岩の「三叉杉」 |
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地蔵峠の御神木「三叉杉」 所在地:高崎市倉渕町水沼・地蔵峠の西3キロの山中。 アクセス:県道倉渕ー松井田線を境の地蔵峠まで上り、峠から営林署管轄の林道を西へ3キロ行き、さらに右へ下がる舗装された林道を30mで舗装林道から左の道へ別れ、約300m下がった左手の杉林の中。 *この林道は峠にゲートがあって、森林事務所の許可を得ないと車の通行はできない。地元民の案内も必要。 *今回全国フォーラムとして特別許可を得て案内します* |
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▲林道の左上、2〜30年生の杉林の中に目立って大きな杉が立っている。 ◇じつはこの三叉杉の近くの谷で小栗家家臣塚本真彦の家族が殉難自害している。詳しくはコチラ石碑「自決の場」から |
▲御神木「三叉杉」 明らかに「神様の木」として伐らずに保護されてきた御神木とわかる。細い1本が枯れかかっているのが心配。 | ▲石宮 根元に石宮が祀られ、銘で慶応三年に神様の木として切り残し御神木として祀ってきたことが推定できる。 ・慶応3年の切り残しが初めてであれば、樹齢約200年。それ以前に切り残して慶応三年が二度めであれば樹齢は約250年位、となる。 |
群馬県指定天然記念物 大岩の三叉杉 所在地:吾妻郡中之条町上沢渡の大岩地区・大岩不動尊の境内 アクセス:吾妻郡中之条町中之条―六合地区線、暮坂峠の手前の大岩地区道路脇に大岩不動尊の鳥居が立つ。ここから約1,300m歩く。駐車場が鳥居近くにあるが、小型車ならさらに800mほど奥まで乗り込める。杉林の中の参詣道を行くと不動尊のお堂手前の杉林に三叉杉が現れる。 |
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▲大岩地区の県道脇にはっきりわかる標識がある | ▲目通り約7.7m、高さ約55m、樹齢約700年。江戸時代のお堂の火災の時、本尊様がこの木に飛び移り難を逃れたという言い伝えがあり、伐採を免れたと説明板にある。 | |
▲地上4.8mで三つに分かれていた枝1本が昭和35年の伊勢湾台風で折れ、二又になった。折れ口の腐敗を防ぐ屋根をかけ、ステンレスバンドを2本巻いて保護している。 | ▲大岩不動尊の本堂 高さ30mほどの大岩の直下に建てられているが、屋根が落石で傷んでいる様子がないのは不思議。 | |
関連ページ ◇長島の山まつりはシヴァ神の祭り…鉾がご神体、顔を真っ黒く塗って神様に仕立てる ◇三叉の鉾の国・宮崎の旅…御神木三叉の木と鉾の関連を探して宮崎を旅したらシヴァ神の鉾が ◇三叉の木・三頭木はシヴァ神の鉾…東善寺発 ◆東北の三頭木(リンク) ◆八甲田の熊(ブログ・リンク)…このページを紹介しています。 ◆倉渕巨樹の会(リンク) ◆倉渕巨樹の会下北半島を行く(リンク) ◆東北巨木調査研究会の参加ブログ(リンク) ◇純米酒「ねぶた」(リンク) ◇「ASTRO9」(シヴァ神の画像提供・リンク) |