巨樹の会・(東善寺HP)  ●  倉渕巨樹の会・巨木を語ろう全国フォーラムin  ◯◯大会

倉渕巨樹の会
第27回巨木を語ろう全国フォーラムin群馬・高崎大会

▲このポスターは一部未完成で、今後修正が入ります。完成しだい差し替えます。
2014平成26年の全国大会は倉渕巨樹の会主管により同実行委員会が倉渕町で行います。
25日(土)の講演・発表は参加無料・予約不要です。全日程の参加は有料の部分もあり8月から予約申し込みを受付けます。
申込・問合せ先 第27回 巨木を語ろう全国フォーラム群馬高崎大会 実行委員会事務局 〒370-3492 群馬県高崎市倉渕町三ノ倉 303 高崎市倉渕支所地域振興課内 п@027−378−3111(代)



下北半島の巨木を訪ねて 倉渕巨樹の会



第25回
巨木を語ろう全国フォーラム
in青森大会
2012平成24年10月11日〜14日
倉渕巨樹の会で参加 参加会員 8名
11日夜8:00倉渕出発=関越道=北関東道=東北道=
12日朝青森着―浅虫温泉で朝風呂・朝食―9:30全国巨樹の会総会・昼食・全国フォーラム・交流会・
13日巨木めぐりAコース:下北半島へ〜青森―横浜町―恐山―薬研温泉
14日薬研温泉―風間浦―大間―脇野沢港―蟹田港―青森IC=東北道=北関東道=関越道―高崎
15日―02:00帰宅
会の専用車で出発 受付 会場の青森市民ホール(駅前)には会員受け付けなどのほか、マスコミ報道関係者受付も用意されていた
▲「青森県内巨木案内」コーナー 総会 フォーラムの前にまず総会 プログラム
開会式 青森市長や次回開催の伊豆市副市長などが並ぶ  高橋進会長が挨拶
▲基調講演 国立民族学博物館小山修三名誉教授の「縄文の森」 パネルディスカッション コーディネーターは青森大学田村早苗教授 
大会旗の引き継ぎ 青森から伊豆市へ  伊豆市副市長の挨拶「来年はぜひ伊豆へおいで下さい」 参会者
▲総合司会 青森美人の○○さん 交流会 青森国際ホテルはやはり駅のすぐ近く 津軽三味線などがあってにぎやかに「始まった
▲交流会2 思いがけず、「息子が東善寺に泊まったことがある」という夫妻が桐生から参加していた。 コンパニオンと記念撮影のオジサンも 

以下
青森の食べある記  
日本海も太平洋も近く、魚が豊富で山菜もとれる青森はとにかくおいしいものがたくさん
交流会の二次会 食堂「おさない」はおいしい酒、肴が食べられる ラーメンもうまかったなあ
▲青森魚蔡センターののっけ丼  500円1000円の券を買い、ご飯・味噌汁から魚まで好きなものを選び、のっけてもらって食べる イキのいい魚が好きなだけ食べられるから人気  
▲浅虫温泉・鶴亀屋食堂のマグロ丼    とりあえずカラの小皿にマグロをどかさないとご飯が食べられないから・・・。なんともはや・・・    右はかきあげ丼 ▲大間の食堂「大間んぞく」 ここでもマグロ丼を食べて少しずつ帰り道に入った


下北半島の巨木
恐山街道の杉                    近くに恐山の冷水▲ 街道わきに湧いている ▲恐山の百面ブナ 異様な顔のコブがたくさん
恐山も参拝し ▲薬研のおぐり(栗) ▲薬研曾古部のヒバ
大安寺の杉は三又の木だった 関根観音様の杉 ▲ここでバスの皆さんとお別れ

下北半島の最北端・大間まで

大間でマグロ丼を食べた後、いっきに南下して群馬へ戻った。
井上靖の文学碑 風間浦村・「アカエリヒレアシシギ」の一節が彫られていた ▲明治維新後に会津藩士が入植して苦心した地でもある ▲そして上州ゆかりの新島襄の記念碑もあった

拓本 襄が箱館に渡る前2日間ここで天気待ちをした、とあるから拓本を採って行こう  拓本が採れたぞ〜 ▲本州最北端の碑 これは大き過ぎて拓本はムリ
▲本州最北端の海岸を歩く男たち  海がうれしい群馬県人 ▲仏が浦も見学し ▲フェリーで陸奥湾を渡って帰途に就く 忙しい一日だった
◆関連情報
倉渕巨樹の会青森大会をゆく

 

   (青森大会感想文)         
             三頭木または三又の木        
      村上 泰賢

 


1 純米酒「ねぶた」の箱 右手に三本槍を持つ 
 青森大会は、係の皆さんの心のこもったおもてなしをいただき、ありがとうございました。

 パネルディスカッションでパネリスト高渕英夫さん(東北巨木調査研究会長)の
「東北地方の巨木のうち、幹が途中から三本に分かれている【三頭木・さんとうぼく】が神様の木として大事にされている」
という話は、面白く聞かせていただきました。新潟から北の地域の風習という話でしたが、同行した塚越会員(元営林署勤務)から、当地(高崎市倉渕町)にも【三又の木】を大事にする風習がある、と聞いて、灯台元暗しとはこのこと、ビックリしました。
 
 当地の三又の木(▼写真2 倉渕町内・杉・樹齢120〜40年・足元に慶応3年奉納の石宮が十二様を祀る)もやはり「神様の木だから伐らないで残そう」と、周囲の木はすべて伐ったがこの木だけは残したそうです。

 伐らない理由として高渕さんは、「神様の木だから」あるいは「上が三本でバランスが悪く、倒すとどう転ぶかわからず危険だから」という理由を紹介していました。当地でも同様の説明がなされていますが、私は神様の木という理由が本来で、バランスが悪いからというあとの説明は、どうして神様の木なのか説明できなくなった後世の「伐らせないための説明」であろうと考えています。

 ▼2 三又の木 倉渕町            ▼3 シヴァ神       4 シヴァ神の三又の戟(鉾)「トリシューラ」

 
 では、なぜ三又の木は神様の木となるのか。

 私はインドのヒンドウ教であがめられる三神(ブラフマー・シヴァ・ビシュヌ)のうちでも最高とされるシヴァ神(写真3)が武器として持つ三又の戟(ほこ)・鉾「トリシューラ」のイメージから来ているのではないか、と考えています。

 いきなりヒンドウ教とは唐突に思われましょうが、シヴァ神は破壊と、破壊のあとの創造をつかさどり、世界を破壊するときはまっ黒い姿で現れることからマハカーラ(大黒)とも呼ばれ、仏教では大黒天として日本人にも親しまれています(日本では神話の大国主命と習合された姿となる)。

 上州や信州の農村にたくさん見られる道祖神は、やはりシヴァ神のリンガ(男根)とヨニ(女陰)を祀るところから来ていて、栃木・群馬県境の金精峠には金精様(男根)が供えられていましたし、日本各地には同じ趣旨の祭が継承されています。またインドでは舞踊を創始した神としても敬われるなどさまざまな力や性格を持つとされ、大自在天とも呼ばれるなど異名も多い。

 さらにいえば、巷で女房は「山の神」「カミサン」と呼ばれ、寺では「大黒」という。つまり山そのものをシヴァ神に見立てるところから連想した言葉であろう。

 そのシヴァ神が持つ三又の戟(鉾)は、インドや東南アジアではシヴァ神が描かれず三本槍だけでもすなわちシヴァ神、とする程にシンボル化されて有名で(写真4)、アジア地域一帯にこういう信仰が広まり根付いていると考えられる、と質疑応答で発言させていただきました。

 そして大会二日目、下北半島の巨木を巡った後、薬研温泉のホテル売店でなにげなく買った純米酒「ねぶた」の紙箱を見て、驚いた。箱には毘沙門天が大きく目を見開いたねぶた絵が描かれ、なんとその右手に大きな三本槍がしっかり握られているではないか!(写真1)。昔からこの地方に三本槍=シヴァ神の信仰がしっかり根付いていることがこれで証明されたようで、うれしくなりました。

 証明されたと言っても、まだまだ推論の域を出ませんから、とりあえず三頭木あるいは三又の木をシヴァ神の三本槍に見立てて神様の木として崇めているのではないか、という説を提示しておきます。

 
関連ページ
東北の三頭木(リンク)
八甲田の熊(ブログ・リンク)…このページを紹介しています。

倉渕巨樹の会(リンク)
倉渕巨樹の会下北半島を行く(リンク)
東北巨木調査研究会の参加ブログ(リンク)

純米酒「ねぶた」(リンク)
「ASTRO9」(シヴァ神の画像提供・リンク)