住職のコラム ● ● ほのぼの倉渕 |
無財の七施で ほのぼの倉渕 |
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川浦に横須賀市の休養(きゅうよう)村がまもなく着工(ちゃっこう)になると、新聞などで報(ほう)じられるようになりました。 倉渕村の人口は12月にはとうとう六千人を割って五千人台になってしまいました。村の人口が減(へ)ると活気(かっき)がなくなります。たしかに、若者の姿も減ってお年よりだけが家を守っているお宅も多くなりました。「夜、寝るためだけに家に帰るようなものさ・・・・」早朝から高崎へ出勤する知人が疲(つか)れた顔でいいます。 こんな状況(じょうきょう)の村に横須賀市の施設(しせつ)ができて、働(はたら)く場所が増え、人の動きが出て村に活気が生まれることはうれしいことで、期待している人も多いことでしょう。 「こんな山の中だ、一度来たら飽(あ)きられて、よその観光地へゆく足場になるだけじゃねえか・・・?」という心配も聞かれます。今はやりの吉幾三(よしいくぞう)の歌を借(か)りると、 ♪温泉はねえ スキー場もねえ たまにあるのはウド畑 オラ こんな村いやだあー
でも、いまさらないものねだりしても仕方がない。ないならないで居直(いなお)って、あるものを大切にし、磨(みが)き直(なお)し、模様(もよう)替(が)えして並べてみようじゃないですか。 それはたとえば、美しい山や川の景色であり、登りたくなったらちょっと汗をかいてもらって登れるハイキングコースや、道祖神をたずねて部落から部落をたどる「日だまりハイキング」のコースであり、新鮮(しんせん)な野菜や川魚(かわうお)の食べ歩きとなるでしょう。手作りミソを作る会を催(もよおし)したり、手打ちそばの会、ドンド焼きの会などいろいろな企画(きかく)が考えられます。 そしてもっとも大事なことは「寄ってお茶でも飲んで行きませんか」という一声で、道祖神めぐりに疲(つか)れた市民が心をなごませるのはこの人情のこもった言葉でしょう。縁側(えんがわ)や炉端(ろばた)の語らいがきっかけで市民や村民の個々の交際が広がれば、きっと長続きする真の友好都市になることでしょう。 経典(きょうてん)の中にお金をかけなくても人に布施(ふせ)する方法を七種あげて、「無財の七施・むざいのしちせ」と説いています。その中の房舎施(ぼうしゃせ)というのが、「寄ってかねえかい」のことですし、「ここにかけねえかい」が床座施(しょうざせ)になります。 春たけなわ、花や山菜、そして人情を求めてこの村を訪(おとず)れる人も多くなります。今から「無財の七施」を心がけほのぼの倉渕の味でお客を迎えましょう。
(1985・昭和60年4月・東善寺だより) |