住職のコラム ● 愚痴なる人は  
愚痴(ぐち)なる人
                   
         愚痴なる人は
         詮
(せん)なきことを
         思い言うなり

                     
                   道元禅師『正法眼蔵随聞記』

 言ってもどうにもならないこと(詮なきこと)を、くどくいう人がいるが、それが愚痴(ぐち)であり、言う人はおろかである(愚痴なる人)ということ。

「昔私の家には蔵が五つあった」「私の家には〇〇があった」「私の実家は田畑が○○町歩ある」等々。黙っていたほうがかえって奥ゆかしい。言ったところで何にもならないし、何の役にも立たない。
                  
オオカメノキ


尾瀬・富士見峠
 
  一人の尼(あま)さんがいました。年とってみすぼらしい風体(ふうてい・みなり)をしていることを恥(は)ずかしく思うのか、ともすると「今はこんなですが、その昔は由緒(ゆいしょ・家がいい)ある宮中の女官で・・・」と他人に語ることが多かった。道元禅師はその尼さんの後ろ向きの愚痴の姿が気の毒で、そんなことをいまさら他人に言ったところで何の役に立つものか「はなはだ無用なり」といっておられる。

 これは人ごとではない。私もあなたも心の中で「詮なきこと」を思い出したり、そのことにいつまでもこだわったり、口に出しかねないことはある。

 道元禅師は後ろ向きの愚痴を言ったり思い出したりするひまがあったら、仏法に向かってもっと精進(しょうじん)努力(どりょく)せよ、と語られる。

 お盆にはご先祖さまのみ魂(たま)が帰ってくるといわれ、盆棚作りや墓参りとあわただしい中に、自分と先祖(せんぞ)とのつながりを思い返す機会も多い。

 「過去にこだわらず、過去をこれからの糧(かて)として」生きてゆくことが、ご先祖を正面から迎える態度として大切です。

              (1987・昭和62年8月・東善寺だより)