住職のコラム 「上州権田の里」  

 上州倉渕の里は、彼岸の里

  昨年秋、たまたま手にした小平市シルバー人材センター発行の『年輪』という機関誌に、「上州権田の里」というタイトルが目に入りました。加藤俊彦さんという方が書かれた次のような文章でした。
     上州権田の里
         
              
加藤  俊彦(東京都小平市)

 三十年ほど前の夏の夜、車で高崎から草津方面に向う途中、二度上峠
(にどあげとうげ・北軽井沢へ抜ける峠)で車が故障し、夜間はほとんど車の通らない山中で一夜を過ごしました。

 ようやく東の空が白みかかる頃、一台の軽トラックが通り過ぎ、また静かな時間が過ぎてゆきます。一時間ほどでさっきのトラックが再び戻ってきて声をかけてくれました。中年の逞
(たくま)しい?女性でしたが、親切に修理工場まで牽引(けんいん・ひっぱる)してくれました。

 この日は日曜日でしたが、工場主に草津温泉の一泊旅行に向う途中であることを伝えると、休日にも拘(かか)わらず修理を引き受けてくれ、点検の結果、クラッチ盤の磨滅
(まめつ)により駆動輪(くどうりん)に回転が伝導しないことがわかりました。交換部品がないので高崎の店に注文しなければならないが休日のため明日になるとのことでした。私の予定では草津温泉に一泊し明日志賀高原を周遊して帰京となっていましたので、工場主は思いもよらない提案をしてくれました。
ヒメシャラ
ナツツバキの仲間だが、「ヒメ」がつくだけに花が小さくかわいい。もともと暖地の木で、伊豆半島天城山にあるヒメシャラの自然林は、大木が天をつくように生い茂って赤茶色の肌が並び立ち、みごとです。東善寺には、神奈川県の山仲間が植えてくれ、寒さに耐えて育ちました。

 この辺りは榛名山と浅間隠(あさまかくし)山に挟まれた山里のため交通の便は悪く、この地を起点として一日数本あるだけです。工場主は近くの群馬バス権田詰所に私を案内し「非番(ひばん)で自宅にいる運転手がいたらこの人を自家用車で草津温泉に送ってもらえませんか」と交渉してくれ、電話連絡の結果三十分ほどで非番の若い男性が来てくれました。無事草津の旅館まで送ってくれましたが白タクではないので料金は貰うわけにはゆかないと固く拒絶され、帰ってしまいました。

 翌日の午後修理工場に電話を入れると、「修理が出来ましたので車を届けてあげますから都合のよい場所で待っ ててください」との返事。タクシー代は高いからと、わざわざ待ち合わせの場所に届けてくれ「修理代はいいから部品代だけ下さい」というではありませんか。

 車を牽引して修理工場に運んでくれた女性、旅館まで車に乗せてくれた若い男性、休日を返上して修理にあたり面倒を見てくれた工場主、ここ倉渕村の人々が善意のリレーで旅人の難渋
(なんじゅう)をわがことのように受けとめ、しかも無報酬(むほうしゅう)という、いまどきの世相からは信じられないような本当にあった出来事を思い出してつづってみました。……(以下略:このあとの文章は小栗上野介の紹介文でした。)……。

■以上、
小平市シルバー人材センター発行『年輪』2002(平成12)年10月号から、加藤さんの許可を得て転載(てんさい)しました。
 いまお彼岸です。彼岸は「かの岸・向こう岸」という意味で、「あちらのいい国」となります。
 それはどんなふうにいいところか。たとえば・・・、人々のあいだに争いや悩みごとがなく、いつも心おだやかに暮らせるところ、理想郷のようなところです。

そこへ渡る方法として、まず「布施」をしましょう、とお釈迦さまは呼びかけています。誰にでも見返りを求めずに自分の出来ることをしてあげる、これを布施といいます。小平市の加藤さんの難儀に際して30年前の村人は、布施をしていた事になります。布施をすると、じつは自分のいる場所が向うから見たら「彼岸」として見てもらえるようです。30年前のことでも、「いい村だ」と覚えていてくださったのはその心を感じたからでしょう。
 
だいじなことは、「あれは30年前のこと、いまはだめ…」と言われないように、これからもひとりひとりが心がけなければならない、それがいま村に住む私たちの課題、ということになります。
                      (「東善寺だより」102号・2003平成15年)