住職のコラム(東善寺)  赤ちゃんを投げた菩薩行
赤ちゃんを投げた菩薩行(ぼさつぎょう)
 法事のときよく一緒に読んでもらっているお経「修証義・しゅしょうぎ」の第4章は

 
菩提心(ぼだいしん)を起こすというは、おのれいまだ渡らざる先に、一切衆生を渡さんと発願(ほつがん)し、いとなむなり

ということばではじまります。意味は

 悟(さと)りを求める心を持ったら、自分は悟り(あちら岸)に着かなくても、まずせめて他の人を渡してあげる手助けをするよう心がけ、実行しよう

というもので、これを心がけ実行する人を菩薩
(ぼさつ) といいます。最近こんな例がありました。

慈母像 
    
【画】 雨・横手好男画伯
     東善寺蔵

 夏休みの楽しいキャンプが、増水すれば水没する川の中州にテントを張るという判断の誤
(あやま)りから、家族そろって濁流(だくりゅう)に呑み込まれる事故が平成11年夏の丹沢渓谷で起きました。13人もの人が亡くなる中で、奇跡的(きせきてき)にまず赤ちゃんが助けられたということが報じられていました。偶然(ぐうぜん)こちら岸へ流れてきて救(すく)われたということでしたが、後でそのときの詳(くわ)しい様子がわかりました。

 双子(ふたご)の赤ちゃんの一人を、父親の弟
(赤ちゃんの叔父)が抱いて濁流(だくりゅう)の中 でがんばっていました。どんどん水かさが増してこらえきれず、もう流 される寸前、とっさに川岸に向かってその赤ちゃんを投げた。 運よく流れの勢いが合わさって、こちら岸に近寄せてくれた。岸ではらはらと 見守っていた別のグループの男性が川に入ってシャツをつかみ引き上げた、とテレビ が報じていました。

 濁流の中から見たこちら岸は、天国に見えたことでしょう。あそこへ着けば救われる、自分がだめでもせめてこの子だけは着いてほしい・・・・。祈
(いの)り、とはこういう気持ちをいうのでしょう。必死の祈りを込めて赤ちゃんを投げ濁流に消えた叔父(おじ)さん、危険な濁流に入って引き上げた男性、親父が危ない、と後ろから入ってベルトをつかんで支(ささ) えた男性の息子(16歳)。みんな自分を忘れたとっさの行動が一人の赤ちゃんを救いました。こういう行いを菩薩行(ぼさつぎょう)といいます。

 もし叔父さんが助かっていれば、どこにでもいるごく普通の人だろう。 おなじみの観音様も「菩薩」で、三十三に化身
(けしん) して現れるから、どこに現れてもおかしくない。あなただって、もしかしたら観音様になれるかもしれない。観音様ほどでなくても、せめて一人の菩薩になれるよう心がけよう。

  「修証義」の原本『正法眼蔵・
しょうぼうげんぞう』を書いた道元禅師はそう呼びかけています。


                      (1999・平成11年9月・東善寺だより88号)