HP東善寺>小栗上野介               横須賀製鉄所の妹、弟、孫の確認作業を    


 
講演とシンポジュウム
2018平成30年11月10日 横須賀市文化会館
  日本産業革命の地 
横須賀製鉄所の
妹、弟、孫の確認作業を


                    村上泰賢
 

 

   ●長浦市、浦賀市、尾島市、七日市市だったかも
 
今回の講演で、「人家30数軒の一漁村」だった横須賀村に製鉄所(のち造船所)を造らなかったら今ごろこのあたりは長浦市あるいは浦賀市だったろう、と申し上げた。

 群馬県では、世界遺産となった
富岡製糸場の建設と経営に横須賀造船所が大きく影響しているから「横須賀の妹」と言えるし、中島飛行機(太田市)は「弟」と言える。

           

◇中島飛行機の場合、中島知久平が横須賀海軍機関学校を明治40年に卒業し、しばらく海軍工廠に勤務したあと、海軍工廠の優秀な技師や職工をスカウトして故郷尾島村の養蚕小屋で飛行機研究所を始めた。

 そのまま尾島村に飛行機工場を作って生産していればいまごろは「尾島市」となり、隣の太田町は呑み込まれ尾島市太田町となっていたことだろう。ところが隣の太田町に飛行機の生産工場が造られ、人が集まってきて市となり、結局いま太田市尾島町になっているのは、太田の工場用地を世話してくれた人への恩義から中島知久平が太田町をずっと離れなかったため、と言われる。

 戦後、中島飛行機財閥は解体させられ、富士重工→スバル自動車、プリンス自動車→と合併して「技術の日産」と呼ばれるようになった日産自動車、電動工具のマキタ、ほかいくつもの会社に分かれたが、いずれも横須賀造船所→中島飛行機→の技術がしっかり受け継がれている。

 富岡の地も隣の七日市藩前田家の歴史が古く、富岡藩はなかった。製糸場が出来なければいまごろは七日市市富岡町だったろう。

          
           ▲ドックを見つめる小栗上野介胸像  
           横須賀市ヴェルニー公園
  
   ●横須賀を始原、呉も弟

◇「くれ市も弟です…」、うれしいことばを自己紹介に入れてくれたのは、講演に先立って午前中ヴェルニー公園で行われた「ヴェルニー小栗祭」式典で、隣席になった広島県呉市の東京事務所長さん。

 そういえば以前訪ねた呉の博物館では呉海軍工廠の起源として横須賀造船所が紹介展示されていた。せっかく小栗上野介の業績も紹介していながら写真がなかったので、学芸員にお話して後日画像を送って加えてもらったことがある。

舞鶴市立レンガ博物館も見事な展示をしていて、やはり横須賀造船所を始原としてきちんと紹介していた。
       
        ▲舞鶴市立れんが博物館  「引揚記念館」と共に一見の価値あり

生野銀山(兵庫県)も明治元年から仏人技師の指導で横須賀から蒸気機関や採掘用具を導入して近代化し、以後全国のモデル鉱山となった。私は「横須賀の義弟」と見ている。

   ●横須賀の始原を確認するヴェルニー小栗祭
        
        今年は日仏交流160年で、
フランス海軍軍楽隊「バガッド・ド・ラン=ビウエ(Bagad de Lann-Bihoué)」が演奏  
:2018「ヴェルニー小栗祭」

 こうしてみると、横須賀市も全国にどれだけの弟や妹、孫がいるのか確認作業をして認識を深め、横須賀市が始原であることを確認するヴェルニー小栗祭に招待して、連携を強めることが大切だと思う。

       
  

 〈本文は講演後の感想を求められ、「よこすか開国史かわら版」37号・2018に寄稿〉
 
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