小栗上野介随想(東善寺)  ●   小栗の死とイラク先制攻撃・予防拘束・共謀罪

「小栗を殺したのは正解だった」とする本
八幡和郎『江戸300藩 最後の藩主』
―先制攻撃の論理―


「あいつはいずれ俺を殴るかもしれないと思ったから、先に殴り倒しました。」

 こういう粗暴な理屈がそのまま通用すると世の中の秩序はめちゃくちゃになるから、いまの法律では認めていない。ところが、戦前の日本には「予防拘束」ということがあって 「何かやるかもしれないから、前もって検挙しておく」 ことが許されていたため、公権力によって思想関係の不当な弾圧を受けた人はたくさんいる。

 最近、この予防拘束に該当する理屈で小栗上野介の斬首を「
正解だった」と述べている書物が出て、しかもよく売れているという。

『江戸三〇〇藩 最後の藩主』八幡和郎著・光文社新書・2004平成16年3月
以下がその問題の文。

高崎藩
 
       八幡和郎著『江戸三〇〇藩 最後の藩主』151ページ
………(略)……高崎、安中、吉井三藩が、「小栗に反逆の心はない」と躊躇していると、「それなら三藩を討つ」と脅されたので小栗を捕縛したが、東征軍はこれを斬首した。……(略)……
いきなり斬首されたのは東山方面の軍監が特に厳しかったという面もあったし、関東平定の始まりにあって毅然とした態度を見せるためでもあった。……(略)……

また当時の国際情勢からいうと、フランスと結んで何かやりかねない小栗を斬っておいたのは正解だったともいえる。榎本武揚に小栗が合流すると
かなり厄介なことになったに違いないからだ。……(以下略)…
この文章全体が粗雑な文脈で、
 ・
それなら三藩を討つと脅かされた……誰が誰を脅かしたのか不明。うっかり読むと小栗が脅かしたように読める
 
 ・捕縛したが、東征軍はこれを斬首した」……これ、とは小栗を捕縛した「三藩」のようにも読める。 「」の使い方に問題あり
 ・「東山方面……東山(中山道のこと)方面であろう。京都の東山ではない。
 ・
いきなり斬首されたのは、・・・毅然とした態度を見せるため」……(小栗が)毅然とした態度を見せるためにいきなり斬首されたように読めるが、そんなおかしな話はありえない。まさか東征軍が「斬首をなさった」という意味不明の敬語であろうか。
・・・と、不思議な文脈のきわめつけが問題の次の文

 ・「
フランスと結んで何かやりかねない小栗を斬っておいたのは正解だった」
 
 
「何かやりかねないから殺してしまったのは正解」とは戦前の予防拘束も顔負けの論理で、正解だったという判断の根拠は「当時の国際情勢」というもってまわったいいまわしの、あいまいなもの。
 権田村で土着帰農をめざし居宅建設に没頭していた小栗上野介が、榎本武揚と合流するという(国際情勢とは無縁の)話もこれまで聞いたことがない。資料を示さないままでは著者の捏造
(ねつぞう)と判断するしかない。
    
     東郷平八郎の謝辞

 小栗上野介がフランスの技術協力を得て日本近代化に果たした業績をたたえ、
 「日本海海戦でバルチック艦隊を完全に打ち破ることができたのは小栗さんが横須賀造船所を造っておいてくれたおかげです」
と明治45年に東郷平八郎が遺族に礼を述べたことを、著者はご存知だろうか。

 この小栗上野介の業績をさして「(これからも)
フランスと結んで何かやりかねない」と東郷の謝辞の意味を否定するのだろうか。
 
 著者は「はじめに明治維新ありき」で明治政府側に立った藩主は時流をうまく乗り切れた人物、立ち回りのいい人物とする立場で書いているが、歴史を書く以上はもう少し小栗上野介という人物の業績・史実を調べてから、論ずべきだろう。ましてや、この個所「高崎藩」の説明では藩主大河内氏をそっちのけで、高崎藩主でもない旗本小栗上野介のことに23行のうち16行も費やすほど力を入れているのだから-。

小栗上野介の遺族に礼を述べた東郷平八郎

「三笠」艦の肖像画




小栗家に贈られた東郷の書額(東善寺蔵)

 
 この書の
「おわりに」で、「正しく歴史を知りたければ歴史小説は読まないほうがいい。少なくとも、それに倍するまっとうな歴史書や伝記を読んでからにしてほしい。」と教訓を垂示する著者にしては、小栗上野介の歴史書・伝記を「まっとうに」読んでいるとは思えないのが残念である。
  
 話は飛ぶが、世界の警察官を自認するブッシュ大統領はイラクに先制攻撃をしたところ、あるはずの大量破壊兵器が出てこないで、イラク情勢はイラク国民の反米感情の泥沼にはまり込んでいる。イラクのベトナム戦争化といえよう。このときの先制攻撃の論理「イラクのフセインは大量破壊兵器を使うかもしれないから」も、この著と共通のものだった。

 このような本が売れているとしたら、近頃は粗雑な論理がそのまま通用する風潮に思えて恐ろしい予感がする。それこそ「何か起こりかねない」。
             (2004(平成16)年8月)

 

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