小栗上野介の顕彰   ●            小栗上野介のレリーフ

小栗上野介のレリーフ
昭和初年から始まった、小栗上野介の顕彰活動


レリーフ(東善寺・小栗上野介)
小栗上野介レリーフ

群馬会館蔵(群馬県庁前)
昭和五年、群馬会館(前橋市・群馬県庁前)の完成を祝って、群馬を代表する偉人として当時の上毛新聞社篠原秀吉社長が「小栗上野介」と「高山彦九郎」のレリーフを贈り、以来二階大ホール入口に掲げられてきました。

近年、赤城国体(昭和58年)のため会館の大改修が行なわれた際、外されて地下の倉庫に保管されていたものを借り出し、東善寺の「小栗上野介に学ぶ」をテーマにした2001平成13年国民文化祭自主企画参加で、11月13日まで展示しました。

制作者は伊勢崎市出身の森村酉三。高崎の白衣観音像原型を制作した彫刻家として知られています。ちなみに、その原型像を高崎の井上工業まで運んだのが、若き社員田中角栄氏という本人の話もありますがこれは、真偽不明。
この像からわかること
群馬県での小栗上野介顕彰は昭和初年から――ということ。
 近年急に小栗上野介が有名になった、埋蔵金騒ぎで有名になった、と思っている方が多いようですが、このレリーフによって、群馬県ではすでに昭和初年、小栗上野介を「群馬を代表する偉人」ととらえ、顕彰されていたことがわかります。
どうして知られなくなったか
平成12年5月の小栗まつり講演で、評論家・中部大学人文学部長赤塚行雄氏は

「昭和初年まで小栗の名は誰もが知っていた。昭和10年代に入ると日中戦争が拡大、軍部が天皇の統帥権を拡大解釈して政治に介入するとともに、皇国史観が強まって逆に明治政府以前の幕府政治を否定する風潮のなかで、小栗上野介の業績も抹殺されていった。・・・だからそれはいまでもある部分で続いていて、小栗上野介の名を知らない大学教授すらいる・・」


と語っています。

赤塚氏は著書『君はトミーポルカを聴いたかー小栗上野介と立石斧次郎の幕末』(風媒社・1785円)の中で、
「もしも、明治を偉大な時代だというのならば、その偉大な時代を作ったのは、ほかならぬ江戸的な教養、江戸的独創性、江戸的好奇心、江戸的緻密性なのであって、江戸には、長いこと研ぎすましてきた品格ある理想の人間像もあった。ある意味で、こうした江戸のバッテリーが、すっかり切れてしまったところに、今日の日本の頽廃があると思うのである。」
と述べています。
明治の文豪中里介山は
小説『大菩薩峠』の「Oceanの巻」のなかで

「歴史というものは、その当座は皆、勝利者側の歴史・・・・」

と書き、続けて

「舞台のまわし方が正当にゆくならば、あの維新の時、西郷を向こうに回して当面に立つ役者は、勝海舟ではなくて小栗上野介でありました。たんに西郷とは言わず、いわゆる、維新の勢力全部を向こうにまわして立つ役者が小栗上野介でありました。」

と書いてその死を惜しんでいます。
レリーフの複製
募金にご協力ありがとうございました

□皆様からの募金によってこのレリーフを複製展示し、東善寺へ小栗上野介の歴史をたずねておいでになる方に、見ていただこうと、募金によって複製することが出来ました。ご協力ありがとうございました。

□複製完成披露 2002年5月26日(日) 「小栗まつり」で完成披露しました。
(2002・平成14年6月)
■群馬会館のレリーフ像は平成14年度に再び二階ロビーの壁に取り付けられました。