パネル内容
<展示例:群馬県庁1階県民ホールで企画展示>
1、小栗上野介とは
@ 小栗上野介忠順 (等身大写真パネル 縦180p×横90cm)
A 小栗上野介忠順略歴 (縦103cm×横73p)
B 小栗家家系図 (縦25p×横160p)
C 小栗日記 貴重な幕末史史料
D 家計簿 旗本が自分でつけていた家計簿
E 江戸駿河台小栗家付近の図 上野介は神田の生まれ(額装タテ51.5cm×ヨコ91.5cm)
F 幕末・維新主要人物生歿年表(横103cm×タテ73cm)
2、遣米使節―日本近代化の道をイメージした世界一周
@ 世界一周をした使節一行の航路 「遣米使節三船」で世界一周
A ポウハタン号 品川沖〜ハワイ〜サンフランシスコ〜パナマまでの乗艦
B ロアノウク号に乗船する使節一行 カリブ海を渡った
C 咸臨丸 浦賀〜サンフランシスコ間を往復しただけの随行鑑だった
D ワシントン海軍造船所での記念写真
E メダル 大統領から使節一行全員に贈られた記念メダル
F ブロードウェイの大歓迎 日本人を一目見ようと熱狂的な風景が繰り広げられた
G アフリカ奴隷の絵 小栗従者木村鉄太の「航米記」より
H 佐藤藤七 小栗の従者・権田村名主佐藤藤七写真 ワシントンで撮影
I パナマの汽車 佐藤藤七の「渡海日記」より
J 塚本真彦 小栗の従者
K 荒川(江幡)祐蔵 小栗の従者
L 立石斧次郎 通訳見習として随行 トミーと呼ばれた
M 説明パネル「遣米使節の旅」 (A2版)
3、日本近代化のレールを敷いた幕末の八年間
@ 対馬事件 ロシア軍艦の居座りに苦慮した事件
A 横須賀造船所の建設 日本近代化のスタートラインにつくプロジェクト
B 1号ドック 日本最初の本格的なドックはいまも稼動している
C マザーマシン 幕末に輸入された3トンハンマー
D 横須賀絵図 明治18年当時(横103cm×タテ76.5cm)
E ドック 米海軍基地内で今も稼動している
F ヴェルニー フランス人技師長 造船所建設の功労者
G 築地ホテル 小栗上野介の指導により株式会社の手法で慶應四年に完成
H 三野村利左衛門 三井の大番頭 小栗家の遺児を迎えて保護した
I 高井鴻山 長野県小布施町 小栗の示唆を得て船会社を構想した
J 説明パネル「日本近代化の業績・構想」 (A2版)
4、上州土着の夢むなし
@ 東善寺 最後の2ヶ月を仮住まいした寺
A 居住した部屋 東善寺内
B 小栗日記 原文と現代語を対比 (縦103cm×横73p)
C 小栗邸跡 居宅を建てかけた観音山
D 小栗邸 前橋市に残る
E 観音山からの景色
G 小栗上野介終焉の地 水沼河原
H 小栗上野介の墓 東善寺
I 小栗上野介の本墓 東善寺
J 黒椿 江戸から運ばれた遺愛の椿・東善寺
K シャクヤク 同 遺愛のシャクヤク
L 遺品 望遠鏡・ねじ釘・手廻しドリル・ピストルとケース・
M 陣笠と麻裃
N ソテツ 江戸から届いたソテツ 群馬町大山氏宅
O 太政官日誌 小栗父子の首級を実検の為舘林へ運んだ記事
P 説明パネル「上州土着の夢むなし」(A2版)
5、小栗公夫人会津へ脱出−上州人の義侠心
@ 脱出の経路 群馬〜新潟〜会津
A ヤマニ宅 吾妻郡六合村和光原
B 小栗清水 同
C 小栗忠高の墓 新潟奉行で赴任中に病死・新潟市法音寺
D 遺児国子 会津戦争中に生まれた上野介の遺児
E 佐藤銀十郎の墓 会津軍と共に戦って戦死・喜多方市熊倉
F 塚越富五郎の慰霊碑 同・福島県高郷村一竿
G 説明パネル「上州人の義侠心」(A2版)
6、小栗上野介の顕彰−埋もれ木を掘る
@ 小栗上野介胸像 東善寺境内
A 栗本鋤雲胸像 東善寺境内
B 顕彰碑 (拓本・額)
C 仁義併存碑 (拓本・額)
D 東郷平八郎の書 東郷は遺族に「日本海海戦の勝利は小栗さんのおかげ」と礼を言った
E 顕彰慰霊碑 非命の地に立つ碑(拓本・額 縦180p×横90p)
F 蜷川新の書 「幕末の偉人 小栗上野終焉の地」
G 観音山邸跡の記念碑
H 地蔵峠の殉難碑 家臣塚本真彦の母と幼女の殉難碑
I 姉妹観音 同 幼女二人の供養観音
J 小栗上野介レリーフ 群馬会館に昭和五年からレリーフが飾られた
K ヴェルニー小栗祭 横須賀市で戦前から行なっている
L 小栗まつり墓前祭 東善寺境内
M 小栗まつり 昼市 東善寺境内
N 小栗上野介シンポジウム
O 小栗上野介関連図書
P 説明パネル「小栗上野介顕彰会」(A2版)
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