小栗上野介企画展 ●● 東京で初の「小栗上野介企画展」 |
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展示内容 お成り行列と記念講演会 記念演奏会 曲目 ギャラリートーク 懇親パーティー 参観者の感想 お問い合わせ |
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お帰りなさい!駿河台へ・・・・(終了しました・ご協力を感謝します) 小栗上野介企画展 東京で初の小栗上野介展・2008平成20年4月4日〜27日 駿河台・アメリカ・横須賀・上州権田村・そして会津―― |
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◆明治の近代化は小栗上野介の敷いたレールの上になされたー *公式ポスターです* 「国家改造の設計者・明治を生んだ父」(司馬遼太郎) |
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◆会期:2008平成20年4月4日〜27日 ◆会場:明治大学博物館 特別展示室(地下1階)・中央線御茶ノ水駅から約3分 主催:小栗上野介顕彰会 駿河台西町会 協力:明治大学博物館・(財)コ川記念財団・日本大学 後援:高崎市、千代田区、横須賀市、(財)まちみらい千代田、上毛新聞社、朝日新聞前橋総局、毎日新聞社、読売新聞東京本社前橋支局、東京新聞前橋支局、日本経済新聞社前橋支局、NHK前橋放送局、群馬テレビ株式会社、株式会社エフエム群馬、株式会社ラジオ高崎 |
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展 示 4月4〜13日・駿河台に生まれ、遣米使節の帰国後幕府の要職にあって日本近代化に邁進。「明治の近代化は小栗上野介の敷いたレールの上になされた」と言われながら、上州で空しく殺される。その全生涯をたどるパネル展示と遺品、資料などの展示です。 4月14日…1,2部入れ替えのため休み。 第2部 4月15〜27日・1860万延元年の遣米使節〜世界一周の旅が近代化の眼を開いた。アメリカでのサムライの見聞や、日本ブームを起こした歓迎など、日本近代化のきっかけとなった旅。アメリカの新聞からパネル、資料、「遣米使節三船」の帆船模型などを展示。 |
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ギャラリートーク 会場内で顕彰会員が説明をしました |
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■お問い合わせについて この小栗上野介企画展は小栗上野介顕彰会と駿河台西町会の主催です。 企画展、講演会、演奏会についてのお問い合わせは、すべて最下段の小栗上野介顕彰会事務局へお願いします。 明治大学、同博物館等へのお問い合わせはしないようにお願いします。 |
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お成り行列・記念講演会 コ川恒孝氏のお成り行列と講演でした(終了しました) 「江戸を支えた武家の精神」 講師:コ川 恒孝(つねなり)氏 (財)コ川記念財団理事長 (コ川宗家十八代) 著「江戸の遺伝子」PHP研究所 日時:4月5日(土) 午後3時〜 会場:明治大学 リバティホール 関連ページ ◇お成り行列と記念講演会の画像はこちら ◇ようこそ倉渕村へ「御成り行列」(リンク)にも画像があります ◇この講演内容は機関誌「たつなみ」33号(小栗上野介顕彰会)に掲載されています。 |
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5日12時〜 (終了しました) 講演の前に、コ川さんを迎えて…御成り行列 で会場へ ○江戸東京の開拓者・初代家康公、二代秀忠公のご子孫徳川恒孝氏が日本近代化の開拓者小栗上野介の所へ歩いて御成り。 江戸の華、鳶 四区五番組がご先導を雨風厭わず相務め候 …鳶が20人ほどで木遣を歌いながらの先導を務めました。 コース:12:00JR御茶ノ水駅東口喫茶店「穂高」前〜太田姫稲荷神社参拝〜日本大学カザルスホール前〜YWCA前(小栗上野介邸跡の銘板を除幕式)〜明治大学アカデミーコモン前広場 徳川さんが小栗上野介企画展を参観・休憩の後、講演会場まで先導しました。 関連ページ ◇御成り行列の画像はこちら ◇ようこそ倉渕村へ「御成り行列」(リンク)にも画像があります |
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記念演奏会 群馬マンドリン楽団の演奏ほか (終了しました) 日時:4月26日(土) 午後2時開場 2時30分開演 会場:日本大学カザルスホール (明治大学の向かい側です) 出演:群馬マンドリン楽団 曲目:幕末に咲き維新に散った偉人・小栗上野介「維新無情」、幕末期のアメリカの曲、横須賀海軍工廠歌、など ◇記念演奏会の画像はこちら ◇記念演奏会のCDがあります。 |
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懇親パーティー (終了しました) 主催 小栗上野介と幕末・駿河台を語る会実行委員会 |
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◆ ポスター決定 この「小栗上野介展」のポスター制作を公募したところ、合わせて9点の作品が集まり、小栗上野介顕彰会・駿河台西町会役員が審査の結果つぎのように決定しました。 最優秀賞:塩崎栄一・歩美さん(共作)(大阪市) 倉渕産の天日干し米30キロと記念品 優秀賞:井口さん (東京都) 同 20キロと記念品 佳 作:江藤友羽子さん (東京都) 同 10キロと記念品 |
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明治大学博物館 お茶の水駅「西口」から坂を下って3分右側 |
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初日から大勢の参観者でにぎわい、4日夕方には中曽根康弘元総理がおいでになり、納谷学長・市川平治小栗上野介顕彰会長・藤本健駿河台西町内会長の出迎えを受け、住職の説明で参観して行かれました。5日は御成り行列と講演会があって一日に1200人を超える参観者。会場が人で埋まりました。 | |||
御礼 小栗上野介企画展はすべて終了しました。参観された方の合計は5054人でした。参観された皆様、そしていろいろご協力くださった皆様に御礼申し上げます。 |
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参観者の感想 感想ノートより (ご芳名略) |
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第1部 小栗上野介の生涯 4月4日〜13日 ■小栗上野介の偉大さを認識するとともに、官軍によって斬首されたことに怒りを覚えました。何やら官軍イコール戦前の陸軍の乱暴さが結びついているように思えました。 ■充実した立派な展示です。高崎市倉淵町在住の陶芸家佐藤様よりご案内いただき、参りました。日本の近代史に先見の明をもって貢献した小栗氏の足跡をはじめて知りました。それにしても無実の罪で斬首されたのはあまりに残念。長生きして若者たちの教育に尽力して下さったら優れた人材が生まれたことと思うだに、歴史的損失だったと思います。(女性) ■幼児期、小学生の時から明治新政府が大嫌いでした。歴史を学べば学ぶほど新政府の役人たち特に伊藤博文らの人間性のいやらしさを知り、ますます嫌いになりました。最近徳川時代が見直されているのはうれしいです。元禄期から東京に住み、父は養子に入ったのですが会津人で小栗上野介については少々知っていました。 こうして陽が当って人々に知られる機会をもっと作っていただきたいです。(女性) ■世界に通じる立派な人物を失ったと思います。西南史観の危ういところが多々露見している昨今で、有意義な展示でした。「錦の御旗」と「改革」に通じるものがあるように思えてなりません。(男性) ■「官軍」と呼ばず、「西軍」の呼称で一貫せるは誠に正しき歴史認識といふべし。(男性) ■徳川家の最期にこんなすごい人物がいたとはびっくりしました。23年ほど前に読んだ司馬先生の「最期の将軍」の中で徳川慶喜に戦いを迫った人物として描かれていたと思います。その時から小栗忠順には興味を持っていたのですが、図書館などに行っても本がない。今日ここに来て、こんなにも資料があるとは知りませんでした。ぜひとも後世の日本人に小栗上野介忠順という人物が幕末にしっかりと存在していたことを伝えてもらいたいと願います。(男性) ■幕末〜近代史好きの歴史ファンです。小栗さんは個人的にも好きで、横須賀の胸像は見ました。今度は上州へも行ってみたいです。今日は小栗さんについていろいろ学びました。(女性) ■この展示を機会に小栗上野介の功績をもっと全国に広めてほしいと思います。 ■駿河台に住み昔から小栗上野介に強い関心を持っておりました。その真相をもっと深く掘り下げたいとの望みが切ですが、残念ながら年をとりすぎた。(1913年生まれ・男性) ■(展示が)とてもよくまとまっていて良かったです。米国からネジを持ち帰るなんて目のつけどころが違うなって感じです。勝海舟のライバルといわれることが多いようですが、人間的にも優れた方だったようですね。それにしても大砲まで差し上げると言っているのになぜ斬首されなければならないのでしょうか。明治になっても活躍が期待できたのに残念です。 ■現在タウン誌「本の街」に連載されている村上泰賢氏の読み物が大変面白い。ぜひ一冊にまとめて出版してほしい。 ■日本にとって大切な人材を官軍は殺してしまいました。 第2部 遣米使節の旅 4月15日〜27日 ■官軍の勢力が残る現在の日本政治は大幅に見直すべきである。官軍のみが入っている靖国神社も疑問を残す存在であり、見直すべきである。日本のために命を落とした人は薩長、幕府関係なく、尊重すべきである。 ■三浦市諸磯へ5年前に東京より移住。横須賀ヴェルニー公園にて小栗氏の存在を知りました。立派な人物なのにのち幕府に疎んじられ、郷里(*知行地)へ帰り、むなしい最後という。その当時はこのような立派な人物が幕府(*明治新政府)の力で無駄にされたことだろうと悲しく思った。 ■小栗の従者木村鉄太が米人の屈託のない人情に触れているのに注目した。ドクヴィルも同じ旨を書いているのでこれが米国の強さかと思った。いずれにしても小栗にはもう少し注目してみたいと思いました。 ■小栗公旧邸の駿河台でこのような企画展を開催して下さいましたこと、感謝に堪えません。近代日本の幕開けを見ることなく処刑された公の事績が、こうして都心で多くの方々に知っていただけること、地元で働く者の一人として、とてもうれしく思います。(男性) ■幕末明治維新史の書き直しが必要なだけでなく、日本書紀に依存の教条古代史の見直しがこれからの課題となろう。正鵠に近い歴史認識の上に立って主権在民の現代国家は、はじめて現在及び将来についての正しい視野を得ることができる。歴史を政治の道具から解き放つこと。それが現代に沿う本当の維新といえよう。(男性) ■前半より見やすい展示となりました。また来年も企画してほしいものです。 ■小栗がすごい人とは、ほのかには知っておりましたが、ここまでとは思っていませんでした。このすばらしい足跡をもっと多くの人に知ってもらいたいものです。 ■明治は官軍が築いたことは明らかであるが、幕府の中にも小栗上野介のような人物が出ているのはうれしいことである。官軍も幕府の人も日本を作ったのだから日本人はこの人たちの意気に感じて、もっと日本をよくしていかなければならない! ■小栗上野介の話は埋蔵金や横須賀のヴェルニー公園に建つ小栗の像が印象に残っています。さて小栗上野介で思い出すことは、小栗家の先祖が大坂夏の陣で真田幸村が家康の本陣へ突入した折に、旗本として最後まで踏みとどまったという話を聞いたことがあります。旗本の小栗家にも興味が出ましたので、調べてみたいと思います。 ■前橋の出身なので小栗上野介の最後は前々から知っており、悔しい思いでした。倉渕村では小栗上野介を大切にしており、自慢もしている。生きていたなら、明治以後の日本に貢献すること大であったろうに心から惜しまれる。 ■午後立ち寄らせていただき、東善寺の住職のガイドをうかがいよくわかりました。感動しました。ありがとうございます。 ■市川先生のお話がわかりやすくて、興味深い内容でとても勉強になりました。今まで小栗上野介さんがこんなにすごい人だとは知らなかったのは、日本人として恥ずかしい限りです。倉渕村にも行ってみたくなりました。(男性) ■私の日本史の知識は高校時代の日本史教科書に書いてあることだけでとどまっていたのですが、この展示を見て、まだまだ私たちの知らない歴史の真実がたくさんあるんだろうとわくわくしました。たった一本の鉄のネジが日本の産業革命の礎になったのですねえ…。 ■小栗上野介については綱淵謙錠氏の遺作「乱」で知り、興味を抱き、本日来所させていただきました。今回で終わらずまた次の企画を期待しております。(男性) ■勝海舟のごとき、彰義隊の連中を裏切り評価が高いが、もっと小栗の評価が上がってもいいと思う。 ■通常見られない資料を見ることができ、小栗上野介の知識をさらに深めることができました。 ■「天涯の武士」で知り常々尊敬している人物でした。もっともっと評価されるべき人と思います。明治政府の犯罪は許せないと思います。(男性) ■小栗上野介の素晴らしさ、日本の歴史教育の今までのデタラメさは何だったのか。咸臨丸よりもポウハタン号、坂本龍馬よりも会社設立もなんだか今の政治と同じで、本当が伝わっていない。歴史学者も全員頭を丸めて出直すべき。本当の明治維新だったのか。城は壊し、人間も壊し、薩長の方々、そして勝海舟も今の国交省、社保庁、みな反省すべき。真の日本人の多くが斬首されたとは。立派な男を忘れて登用しなかったのが半藤一利さんのいうミッドウエー海戦で負けて立派な男たちが適材適所でなかったから。それがあったら太平洋戦争もなく300万の日本人も死ななかった。あゝ、誰か小栗上野介の意志を継ぐ者があるのか。(男性) ■故母より母のルーツが小栗上野介に多少縁あり、権田村脱出(母の話の中で)の話などを多少聞いておりました。出来れば少しでも確かめたいと思っていますが難しいですね。なぜか上野介の写真が母と似ています。事実であればと夢を見ております。(女性) ■小栗上野介が生まれて初めて私の心に入りました。うれしい。大江健三郎「万延元年のフットボール」を思い出して日本の夜明けを創ってくれた人だなあ、と思いました。 ■幕末の陰のヒーロー、もっともっとこの人の真実が世の中に知られればと思います。とても楽しかったです。(男性) ■キャプション、パネル等があちこちで斜めになっている。非常に見苦しい。キャプションのほとんどがきちんと貼られておらず、しわだらけなのも気になる。アメリカの新聞などが額装されず直に展示台に置かれている。資料を保護する観点からは許されない。 ■すんばらしいよ。ありがとお。 ■小栗上野介のことはほとんど知りませんでした。彼の見識と愛国の至情に感銘をう受けました。 ■教科書に書いてあることを「本当かな」という目で見る必要があることを感じます。1860年、すでに洗濯機があったとは驚きます。このような人をさらし首にするとは―。 ■無学粗暴な原保太郎なんて武道の心得もない若造に斬首されたのがシャクだったね。(男性) ■先にペリー来日150年記念展を久里浜横須賀で見て、小栗上野介のことを知りました。この展示会、もっと大勢の方々に見ていただけたらと思います。(女性) ■本当にエライ人が殺されて残念です。(男性) ■わかりやすい解説でよかったです。 ■小栗再評価の功績者、故坂本藤良氏の著書をなぜ来館者に販売しないのか?その他、尾佐竹猛氏、中里介山氏、大隈重信氏など小栗賞賛者は少なくないが、なぜシバリョーとトーゴーの言葉だけを特筆大書するのか?私はシバリョーなど単なる大衆迎合の娯楽作家としか思っとらんぞ。 (*坂本藤良「小栗上野介の生涯」は20年前に絶版です) ■おどろきでした。教科書編集にも再考の要ありと感じました。 ■新政府側は小栗上野介の「何が」「どこが」そんなに怖くて、短兵急に彼を処刑したのか。その解説がいささかかけているような気がしました。(男性) ■素晴らしい企画で改めて小栗公の人となりに感動しております。民族が民族たり得るには歴史、言語、文化(伝統しきたり等)の三要素が不可欠と信じています。とりわけ歴史はわれわれが今日ある礎であり、これを学び、子孫に伝えるのは現代に生きる者の使命でしょう。その上、公のような開明の人を大いに伝えたいものです。無料展示を始め、企画展運営の方々に敬意を表しますとともに、ますますのご発展をお祈り申し上げます。(男性) ■10年ほど前、横須賀基地の見学の際小栗氏が作られた立派なドックを拝見し、自由に国民が見られて、業績をたたえたいと思いました。 ■先日群馬県の富岡製糸場を見学してまいりました。小栗上野介の横須賀製鉄所も現在に残っていたらとの感を深くしました。(*残っています。現在の米軍横須賀基地です。ただし造船はやめて、修理部門だけが稼働しています) ■5日のコ川ご宗家の御成り行列、そして講演を親戚の者、柳営会の人たちと一緒に参加、聴講して有意義な一日を過ごせました。小栗忠人さんの息子さんの又一郎さんとお会いできたのが何よりでした。今日は、5日の展示会場が混雑で見られなかったので、観に来ました。一つ一つの写真を見るたびに、幕末に隣家でお付き合いした先祖と小栗家の皆様をしのぶことができました。小栗忠人さん、又一郎さん、どうぞお元気でお過ごしください。またお会いしてゆっくりお互いの先祖のことを語り合うのを楽しみにしております。(男性) ■今日御茶ノ水にきて偶然企画展を知り、立ちよりました。大河ドラマ化へのきっかけになることを期待しています。村上先生!今後も益々ご活躍ください。(男性) ■姫路市から出張で近くに来て、偶然立ち寄りました。とっても感銘を受けました。(男性) ■来てよかった。横浜のドックヤードガーデンにも立ち寄りませう(男性) ■昨日、滝川公民館(高崎市)で住職の講演を聞いたので、自分の目で見てよかった。(男性) ■毎週北軽井沢に行くのに権田村を通り過ぎます。東善寺も気になっていましたので、5月の祭(140年祭)に立ち寄ってみたく思います(女性) ■高崎から来ました。本当に見聞したことを近代日本のために提案した方だと理解しました。もっと知りたくなったことと、日本人の偉大さを見ました。私自身を引き締め生活しようとの思いを新たにしました。(女性) ■北区から来ました。これで3回目です。日本人のあるべき姿を小栗上野介は示したと思います。こういう人物を忘れるわけにいきません。(男性) ■横須賀から来ました。今日浦賀では奇しくも咸臨丸フェスティバルが開催されています。展示を見て、改めて小栗公の功績が理解できました。(男性) ■築地ホテル模型を作製した金田綾乃の妹です。小栗上野介については日本史を学んだ際に少しは知っていましたが、今日見に来ていろいろとわかったことが多くて、勉強になりました。(女性) ■自分の実家が小栗の眠っている寺に近いこともあり、昔から興味を持っていた対象でした。また研究で幕末使節団を扱っているので、今日の展示は参考になりました。(男性) ■小栗上野介の業績は以前から知ってはいましたが、実際に史料として見るとやはりその偉大さが再確認できました。非常に勉強になりました。ありがとうございます。小栗上野介の業績を世間に正しく認知してもらえるように努めたいと思います。(男性) ■歴史を見直す作業は大切です。これからも頑張ってください。(男性) ■昭和25年ごろ駒澤大学で蜷川新教授から小栗上野介の話を聞いて興味を抱いた。以来彼の偉大さに折に触れて接し、感銘を深めているが、今回の展示は私には忘れられない新発見の連続だった。東善寺住職の話は興味しんしんだった。(男性) ■興味深い話、たっぷり聴きました。 ■日本近代化の功績者として捉えたい。今までの雑然とした知識を総合的にまとめることができた。この企画展に感謝したい。(男性) ■尊敬する小栗上野介のネジ釘を生で見ることができてよかったです。(男性) ■第1部も見たのですが、一度に両方見られるように会場を考えてほしかったです。私の友人はどちらかしか見られず、大変惜しい思いをしました。(男性) ■船舶模型は貴重なもので、見に来た甲斐があった。話が長すぎて見たいものが見ずらいのはいかがなものか(男性) ■村上さんのお話を聞くことができて大変よかった。権田村の方々がやるべきことをやったので今がある、というお話は肝に銘じたい。(男性) |
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■ 作家井出孫六さんも参観され、以下のような感想が信濃毎日新聞に掲載されました。■ 「帰ってきた小栗忠順」 井出 孫六 東京駿河台の明治大学博物館で小栗上野介企画展があると聞いて出掛けた。面白かった。 万延元(1860)年1月18日、遣米使節一行七十七名は米軍艦ポウハタン号に乗り、幕府艦咸臨丸で勝海舟らが随航した。正使新見豊前守、副使村垣淡路守では心許ないとみた大老井伊直弼は目付弱冠三十四歳の小栗上野介忠順を任命したが、二隻の帆船が太平洋の荒波を乗り切るより早く、三月三日井伊大老は水戸攘夷派によって桜田門外で憤死。 三月九日サンフランシスコで引き返す咸臨丸と別れた使節一行は、本国の異変を知らぬまま、まだ運河の通っていないパナマ地峡を汽車で大西洋側に向かい、一年近く待機していた米艦ロアノウク号に乗船、日本を出発してから百日を費やして首都ワシントンに到着、今なお現存するウィラードホテルに投宿、紋付袴に二本差しの使節一行が水洗トイレに戸惑ったさまが想像される。 毛槍を立てた従者を先頭に、馬車を連ねてホワイトハウスに向かう一行、ブキャナン大統領に国書を渡す使節団一行の物おじしない態度、フィラデルフィアからニューヨークへと巻き起こった日本ブームの演出は小栗忠順その人であることを、この企画展は暗示している。明治五年に国書も持たずに渡米した岩倉使節団とは雲泥の差があると映る。 だが、万延元年の初の遣米使節一行の事績が一五〇年近く伏せられてきたことの方が不思議だ。使節を送り出した大老はすでに亡く、攘夷の嵐は勢いを増していた。遣米使節報告書などを公刊する機もないまま、小栗忠順は主なき井伊派のエースと目され、薩長の仇敵(きゅうてき)の立場に置かれる運命となる。 サンフランシスコで袂(たもと)を分かった勝海舟と咸臨丸だけが教科書にその名をとどめることとなった。 万延元年の遣米使節一行は行くところ克明に帳面を付け、金に糸目をつけずにガラス、金物、火器、光学機器などを蒐集(しゅうしゅう)したが、監察小栗忠順のメモは残されてはいない。 けれども、帰国後の小栗の行動を見れば、彼が見るべきものはしっかりと見、かつ学んできたことがわかる。パナマ運河はまだ着工に程遠かったが、そこに敷設されている鉄道が国費ではなく株式会社組織で成り立っていることに瞠目(どうもく)し、帰国した小栗は日本最初の株式会社「兵庫商社」を設立し、外国資本による貿易利益の独占を防ぐ手だてを講じた。 小布施の高井鴻山が新潟港に船会社を構想したのも小栗の示唆によるものだったというし、清水喜助(清水建設)が幕末の江戸に会社組織の築地ホテルを建てたのも小栗の指導によるものだった。 フィラデルフィアの造幣局訪問の際、小栗は小型秤(はかり)を出して小判とドル金貨を衡量(こうりょう)してみせ、日米通貨の交換比率を問題にし、分析実験を迫って硬骨ぶりを示しもした。 小栗はワシントン滞在中、米海軍造船所をつぶさに見ている。勘定奉行から軍艦奉行に転出し、盟友栗本鋤雲と組んで横須賀製鉄所建設に取り組んだのは一八六四年のこと、幕府倒壊まであと三年。莫大な建設費を気にかける鋤雲に向かって忠順は、たとえ幕府が倒れようと、「猶を土蔵付売家の栄誉を残すべし」と笑って答えたと鋤雲の回想にある。 実際、戊辰戦争とともに横須賀製鉄所は無傷のまま西軍の手に帰したけれども、小栗上野介忠順は幕府方主戦派の巨魁(きょかい)と目されたものか。知行地上野国権田村東善寺に蟄居(ちっきょ)していた小栗忠順は東山道総督の命によって斬に処せられた。 小栗邸は初の洋館で、明治大学と道一つ距(へだ)てたYWCAの辺りにあったと、小栗上野介企画展で知った。 (信濃毎日新聞・夕刊・2008平成20年5月8日・15日「今日の視覚」欄に掲載) |
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【小栗上野介展に関するお問合わせは下記へ】 ・小栗上野介顕彰会事務局 027−378−4522 〒370-3402 群馬県高崎市倉渕町三ノ倉303 高崎市役所倉渕支所内 兵藤公保 e-mail:hyodo3390(A)city.takasaki.gunma.jp *(A)と@を入れ替えてお使い下さい。(迷惑メール防止処置) または ・東善寺 пEfax:027-378‐2230 村上泰賢 email: |
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関連ページ ◇高崎市の公式ページで「小栗上野介企画展」 ◇明治大学博物館(リンク) ◇明治大学のホームページで中曽根康弘元総理の参観写真(リンク) ◇地元の神田神保町地区12町会のページ(掲示板にリンク) ◇東京龍馬会のページでも ◇朝日新聞4月2日夕刊でも ◇東京新聞4月28日(群馬版)に築地ホテルの模型完成記事(リンク) ◇駿河台(小栗家の位置など) |