小栗まつり随想  ●●   オグリカルチュア
小栗まつり随想

(オグリカルチュア)
投稿・浜名 光彦 (高崎市)


□毎年五月に開催される小栗まつりが、ことしは没後138年祭として、5月22日に行なわれた
□「小栗様」の業績は周知の通りだが、その供養のほかに有識者による基調講演があったり、写真やその他の資料の展示と地元の農産物や地酒、マスの塩焼き、おやき、飲み物、農産加工品、花、そしてゆかりの横須賀からは海軍カレーなどが並び、最近では小布施のリンゴ、茨城の手打ちソバ、郡山市からはごんさい豆なども出品され、参加者は関東各県はもとより、遠くは愛知県、福島県、山口県萩市からも来ていると聞く。
昼市風景

狭い境内が人でごった返す。そのごった返すふれあいが、活気を生む。祭りの場は狭いほうが人と人が近づいて、面白い。
オグリン

横須賀からやってきたオグリン!
子供たちに大人気です
講演を聴く

小栗上野介や幕末関連の講師を招いての講演は、バラエティーに飛んでいると毎年定評がある。
墓参と献香

小栗上野介主従のお墓参り
□これらが交流しあい、農産物の技術交流から、その後の日常の交際まで発展し、「小栗様」を核としたひとつの文化、農村の独特の文化が生まれつつあるように思う。墓参から始まって香を供え、業績を実際の写真や文献などでたしかめ、地元の食べ物から遠く他県の食文化にまで触れ、その苦労を話し合い、自分の土地に照らして作ってみるまで、研究の対象として広めあう交流はまさに「小栗様」による文化と言っても過言ではないだろう。私はこの交流の文化を農業のAgricultuer(アグリカルチュア)ならぬOguricultuer(オグリカルチュア)と呼びたい。
□これはひとつの「町おこし」であり、「文化おこし」でもあり、低迷する地方の活性化のヒントとして注目しないわけにはゆかない。他の町村にも同様の再発見や再のつく事柄がまだ眠っているに違いない。
□小栗まつりは毎年行なわれることに定着してきているが、最近では小栗夫人の一行が会津に逃れた野反湖から秋山郷のルートを歩いて当時をしのんだりしているようである。このように活動の区域をゆかりの越後や会津や信州へ交流を深め広げることにより、小栗様を中心とした隠れた維新前後の歴史を全国的に認識していただく方策を拡大してゆく努力が、小栗主従の無念の死を無駄にしない最高の供養であり、オグリカルチュアが発展する源であると思う。

2005(平成17)年10月