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小栗上野介、感染症で大病  
  

    小栗上野介、感染症にかかる

◆昨年暮れに中国武漢市で発生した新型コロナウィルスによる感染症が世界中に伝播して、8月初めでの感染者2千万人以上となり死者は70万人、感染防止の見地から学校は休校、航空便も乗客が減って休便が相次ぎ、世界中が混乱状況から抜け出せていない。

◆小栗上野介も感染症にかかって大病となったことがある。
 南町奉行から転じて1862文久二年十二月一日に勘定奉行兼歩兵奉行を命じられ、関口錐入れ場(文京区)の銃砲作業改善に取り組み始めたばかりの十二月中旬、小栗上野介は感染症にかかってしまった。

 その症状は
 病原体の活動性は激しく、脈は速く数多く打ち、舌には黒っぽい舌苔が付着している。うわごとを言い、意識が混濁して飲食物はのどを通らない。夜になると、手足をじたばたさせて発狂したかのようだ。高熱はますますひどく(浅田宗伯『橘窓書影』・現代語訳:津田篤太郎・『たつなみ』43号より)

  

 
浅田宗伯『橘窓書影』
 
▲浅田宗伯

◆何人かの医師が手を尽くしたが病状は改善しない。そこで呼ばれたのが幕末の名医と言われる浅田宗伯で、少陰病期の膈熱(胸部の中央で炎症が起きている)」と診断し、薬を処方したところ、

「一昼夜にわたって安眠することができた。次の日、意識がはっきりして(見舞いに来た)親族が誰かも判別できるようになり、食事も少し食べられるようになった」(浅田宗伯『橘窓書影』・現代語訳:津田篤太郎『たつなみ』43号より)

 今の流行性感冒やインフルエンザのような呼吸器系の感染症が肺炎を併発したのであろうと幕末の医療研究家・津田篤太郎医師(聖路加国際病院)は見ている。

◆翌1863文久三年二月十五日に快癒して「床上げ祝」をしたと小栗家家計簿にあるが、このまま病死していたら、後世に名が残らなかったどころか横須賀造船所は存在しなかったろう。そうなると東郷平八郎が明治45年夏に小栗家遺族を招いて「日本海海戦で勝利できたのは小栗さんが横須賀造船所を作っておいてくれたおかげ…」と礼を言う場面もなく、日本の運命は相当変わっていただろう。
 医師が違うと診たてが異なり、処方する薬も違ってくるという典型的な例であろう。

◇宗伯はのちに小栗道子夫人の病気やフランス公使ロッシュの腰痛も見事に完治させた。その腕前がフランスに報告されナポレオン三世からの感謝状が届いている。ちなみに「浅田飴」は水飴の薬を教えてもらった書生が改良を加えて次第に現在のドロップ飴スタイルになったもの。

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・小栗上野介顕彰会機関誌『たつなみ』43号・津田篤太郎「小栗上野介の病歴」

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