小栗上野介情報●●   2000(平成12)年版    *1月はいちばん下です
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最新情報 ●●2000年12月


●「国民文化祭」に自主企画で「小栗上野介」が参加
 来年秋に群馬県が会場県として開催される国民文化祭に、「小栗上野介を自主企画で参加させたいと考えています。倉渕村では「道祖神」をテーマとして参加することで準備が進んでいますが、せっかく全国から大勢の方がおいでになるので小栗上野介の業績を知っていただくいいチャンスですから、これまでの展示に少し手を加えたりして、楽しんでいただけるようにしたいと考えています。
 5月の小栗まつりを「プレ行事」とし、ほかにいろいろアイデアを寄せていただいて実施したいと思いますので、皆様のアイデアをお寄せください。

ホームページ「東善寺」にカウンターを設置しました。
どんどん数字が増えますように・・・・

●ホームページ「東善寺」がつながりました。
 ご不便をおかけしておりましたが、新しいURLへの引越しが出来ました。まだ不備の画面もありますが、とりあえず出来ましたので、どうぞご利用ください。

最新情報 ●●2000年11月    

●「小栗上野介」特集ページ・上毛新聞・神奈川新聞


 11月29日神奈川新聞、30日上毛新聞で2ページ見開きの「小栗上野介特集」が掲載されました。
横須賀市でのシンポジウムの内容を詳しく紹介しながら、同時に日本の近代化に尽くしながら歴史の表から抹殺された小栗上野介の業績を紹介しています。
 
**この上毛新聞をほしい方にお送りします。メールでお申し込みください。**(12月3日)
●横須賀で「小栗上野介」シンポジウムとヴェルニー小栗祭


横須賀で小栗関連の行事が行われ、住職村上泰賢も倉渕村小栗上野介顕彰会長や小栗研究会の会員とともに参加してきました。
長井の民宿「井戸隠居丸」で一泊。おいいしいエビやカニをたくさんいただきました。

     
シンポジウム「小栗上野介」
11月11日午後 ヨコスカ・ベイサイド・ポケットで、横須賀市と開国史研究会の共催 
パネリスト
       沢田秀男  横須賀市長
        西堀 昭  横浜国立大学名誉教授
      小寺弘之  群馬県知事
      エリザベット・ドウ・トーシェ リール第一大学講師
コーディネーター
      山本詔一  横須賀開国史研究会長

           発言要旨
 沢 田 秀 男氏
 万延元年小栗上野介は遣米使節として渡米、アメリカの進んだ近代文明を目の当たりにして日本の近代化の必要性を痛感した。しかし、この功績は明治以後ほとんど歴史から隠されている。たとえば、昭和52年に昭和天皇が訪米したときの報道で、毎日新聞は「勝海舟ゆかりのホワイトハウス・イーストルーム…」として、使節が勝海舟であったと誤報したほど、小栗上野介らの業績は知られていない。
   
勝海舟には明治維新に際し江戸を守ったという業績がよく知られ、小栗上野介は横須賀造船所の建設を通して、明治以後の日本の工業化近代化に貢献した功績が顕著であるのに、知られていない。明治政府の行った政策のほとんどは、かつて小栗上野介が企画し提案したことを実現したにすぎない。

横須賀造船所の建設を提案したとき、幕府の閣僚や勝海舟は反対し、長州や薩摩も幕府の強化を恐れて反対したが、小栗上野介は日本の国家にとって必要であることを説いて、建設に漕ぎ着けた。
 フランスのツーロンをモデルに、その3分の2の規模を想定し、フランスからの借金をして着工した造船所は、明治政府に引き継がれ、司馬遼太郎が「横須賀は日本重工業の源泉」(三浦半島記)と書いたように、日本近代化の基礎を担い、昭和31年にはイギリスを抜いて造船世界一になるに至った。横須賀造船所がなかったら日本の産業国家づくりはかなり遅れていただろうと言える。

 西 堀   昭氏
 フランスの資料によって、1866年秋に小栗上野介が2、3日間横須賀に滞在して、ヴェルニーの懸案となっていたことがらを協議をしたことがわかる。
その内容は、■財政面での支払い方法、■資材の購入方法、■請負業者の選定方法、■夏冬の労働日数や時間のこと、■職工学校の教育組織と形態や内容、と言った事柄であった。こういった協議を通して二人は親密な結び付きを持つようになり、以後二人は車の両輪の関係のように、順調に工事を進めるについて欠くことの出来ない大事な間柄となった。

 「これが出来上がればいずれ土蔵付き売家の栄誉が残せる」と小栗上野介が語ったように、明治政府に引き継がれた造船所は、後の日本の近代化にとって役立つ貴重な施設となった。それは、心をこめて工事に当たったヴェルニーの功績であり、小栗上野介との間に強い信頼関係があったから成し得た、と言える。
 幕末から明治にかけてにヴェルニー以外にも、多くのフランスの先端技術を伝える技術者が来日し、横須賀以外にも全国に散らばって技術を伝えた。  フランスは学校教育も広めた。横須賀の職工学校は優秀な学生を育てている。

 小 寺 弘 之氏
 小栗公に入れ込んでいる私には次ぎのような個人的な体験がある。
■群馬県の企画課長当時、倉渕村を訪れて斬首碑やお墓を訪れて感激した。そして、もう少しきちんと評価したい、という思いを抱いた。
■日米知事会議で渡米したとき、ウィラードホテルに泊まったところ、廊下に遣米使節一行の銅版画が掛かっていて、感激した。
■日仏知事会議で渡仏し、小栗上野介とヴェルニーの関係を説いて、日仏が深い縁で昔から結ばれていることを強調してきた。また日本で最初の近代的な富岡製糸工場もフランス人の指導で運営されている。
 歴史の中に人間の賢さと愚かさが見えてくる。
 歴史は為政者の都合で曲解されているものが意外に多い。小栗公もその一人で、真実の姿が伝わっていないことが残念に思える。歴史を正しく伝えることが、我々の大事な責任と思う。

 エリザベット・ドゥ・トゥーシェさん
 ヴェルニーが行なった造船所の管理制度は、複式簿記の使用など、日本の制度改良につながる貢献をした。


ヴェルニー小栗祭
12日午前10時から ヴェルニー公園(元の臨海公園)
来賓の、外務大臣代理、フランス大使、群馬県知事、米軍第7艦隊司令官、在日米海軍司令官、横須賀基地司令官、に続いて倉渕村小栗上野介顕彰会長も献花。
市長式辞、祝辞を外務大臣代理、フランス大使が述べて式典は終了した。

3トンスチームハンマー
会場となった公園は幕末に作り始めたドックの真正面にあり、現在フランス風庭園に改装中ということで、仕上げにかかっている様子だった。
市長の言葉では、ここにこれからフランス風の建物を建て、基地から引きだした「3トンスチームハンマー=マザーマシン」を据えて、近代化遺産として展示する予定、だそうです。
現在博物館前の0.5トンハンマーが、国の重要文化財に指定されていますから、こんどは3トンハンマーも指定されることは間違いないでしょう。

●大河ドラマの実現に向けて
横須賀で小寺知事は、横須賀市、倉渕村と手を携え「小栗上野介」のNHKの大河ドラマ化に努力したいと語りました。
それはたんなるご当地ドラマで観光客を誘致したい、というようなものではなく、これまで表に出なかった小栗上野介の隠された業績を掘り起こすことで、正しい歴史に光を当て、日本の行末を考える機会としたい、という格調高いものでした。 

 


最新情報●●2000年10月  

●上毛新聞と神奈川新聞で同時連載『小説 小栗上野介』開始
     
作家童門冬二氏の書き下ろし「小説小栗上野介」が、上毛新聞と神奈川新聞で7日から同時連載を開始しました。いきなり江戸から権田へ移るところからスタートしましたので、意外な展開になりそうです。
 




最新情報●●2000年9月  

●中公文庫『最後の幕臣・小栗上野介』発刊
     
星亮一著『最後の幕臣 小栗上野介』が,中公文庫から発行されました。600円
以前に小栗上野介をめぐるドキュメンタリーで書かれた『上州権田村の驟雨』に加筆して改題したものです。
 



最新情報●●2000年8月  

●横須賀でシンポジウム「小栗上野介」・11月11・12日
     
横須賀市では市の小栗まつりにあわせてシンポジウム「小栗上野介」を開催する準備を進めています。
日時:11月11日14‐16時
場所:ヨコスカ・ベイサイド・ポケット 
パネリストは横浜国立大学西堀昭教授、小寺弘之群馬県知事、澤田秀男横須賀市長、コーディネーター横須賀開国史研究会長山本詔一
抽選で500人までだそうです。
翌日12日(日)はヴェルニー小栗まつりです。どうぞお出かけください。

「たつなみ」25号発行
倉渕村小栗上野介顕彰会は機関誌「たつなみ」25号を発行しました。
主な内容/小栗上野介有罪説をただす・市川八十夫/小栗の埋蔵金の真偽を正す・小板橋良平/小栗の西洋館(石蔵)について・塚越真一/姉妹観音追悼句碑建立される・佐藤久男

「小栗上野介の有罪説」をただす・市川八十夫
 (倉渕村小栗上野介顕彰会機関誌「たつなみ」25号3ページー9ページ)
小栗上野介は勘定奉行を退職後も武器の購入に奔走していたから,殺されて当然、という有罪説がありますが,その説の根拠を追及して覆す論文

実は筆者の市川さんは,「たつなみ」誌が発行されて後に、さらに決定的なことに気づいて補説を書きましたが,まだ公表にいたっていませんので,ここに要旨を紹介します。

               補 説 要 旨

お茶の水女子大学名誉教授勝部真長(かつべ・みたけ)著『勝海舟』上下(1992年PHP発行)によると、
「小栗上野介は、慶応4年1月15日に慶喜から罷免されたのちの「明治元年2月6日」付けフランス人ビグエー氏の書簡で、小銃千挺と弾薬8万発を注文している。だから,明治新政府軍に殺されるのも当然・・・、である。」という趣旨のことが書かれている。

この説の出典は法学博士尾佐竹猛氏の著「国際法より観たる幕末外交物語」(大正15年刊)で、書簡の写真とともにその文章が訳されて、
「1868年2月6日」付けで「小栗上野介閣下・・・・小銃と弾薬は8万ドルと引き換えでなければ渡せない。」と書いてある。
1868年はたしかに慶応4年で、9月8日に明治に改元しているから、うっかり読めば小栗上野介は慶応4年1月15日に勘定奉行を免職になった後も、武器購入に奔走していたことになる。。
だが,当時の日本は和暦(太陰暦),西洋では西暦(太陽暦)を用いていたことは周知のとおりである。和暦のことを知っている西洋人は「1868年○月○日即日本○月○日」と和暦を併記した手紙を書く人もいた。ビグエー氏の書簡「1868年2月6日」のように和暦の併記がなければ、当然それは西暦を意味している。

西暦「1868年2月6日」は和暦ではいつか、調べると「慶応4年1月13日」であった。ビグエーの書簡は現職の勘定奉行小栗上野介宛のものであり、尾佐竹氏がこの和暦と西暦の差を無視して、小栗上野介罷免後のこととし、勝部氏もそのまま鵜呑みにしていたことがわかった。

以上が市川氏の補説の要旨です。
わかってみれば単純な間違いですが,勝部氏がこの錯誤を元に 「(小栗上野介は)幕府を守るために国家を忘れてしま」った人物の例としているのを見ると、ただの間違いではすまなくなる。

さらに「小栗上野介は・・・土地の博徒を捕らえていぢめたりするから,博徒の恨みを買って,官軍に密告され,結局つまらぬことで処刑されてしまった。」「勘定所で不用になった千両箱の払い下げを受け、これに銃器弾薬を入れ・・・上州権田村に帰って・・・会津からの密書を押さえられ・・・(殺されたとき小栗親子は)二分金百五、六十両ずつ肌身につけていた」「金時計も身につけていた」「小栗夫人は信州に逃れ・・」(『勝海舟』P124,P154)とある。

同様の文章では「観音山に陣地を作り,博徒を酷使したとかで官軍に密告され,彦根藩の大音竜太郎の手で村境の河原で斬られた。」(歴史群像「徳川慶喜」・学研1997)とも書く。

「会津からの密書」「博徒を捕まえ」「いぢめ」「観音山に陣地を作り」「博徒を酷使し」「大音竜太郎の手で」「信州に逃れ・・」会津からの密書」「二分金百五、六十両ずつ肌身に」「金時計」・・・・が史実に照らして根拠がないことはもちろんですが,そのあとに「下級御家人四十一石取りの勝は,江戸育ちで博徒らを扱うこともなれているから、人の気持ちを見抜くことはうまい」と続くから,勝が優れている、と美化するために、小栗の人物像を矮小化(わいしょうか・つまらない人物化)して金まみれの主戦論者に仕立てていることがわかります。

調べにおいでにならないで、このような文章をよく書けるものだと,村の人々があきれています。 
 


 

最新情報    ●●2000年6月  

●講演しました
国立群馬高等工業専門学校 前橋市 6月28日
「幕末開明の人小栗上野介・パート2」
土木工学科 環境都市工学科で昨年に続いて講演しました。去年聴いてくれた2-5年生と、初めて聴く1年生に向けての公演、ということでどちらに焦点を絞るかと迷いました。半分は去年のおさらい、ポウハタン号の模型船も運んでみてもらいなかなか熱心な生徒さんたちに聴いていただけました。
最後に花さか天使テンテンくんのかずまたさんを説明したら、学生さんたちは驚いて盛り上がっていました。
 
●月刊誌『つり人』8月号に「小栗まつり」(24日)
 ただいま発売中の雑誌『釣り人』8月号に「小栗まつり」が紹介されています。
筆者のさいとうはるきさんが、前日から編集者と来て取材して書いたイラストと 文章で、倉渕村や「小栗まつり」それに本題の釣りの話が要点をつかんでまとめられています。
●プリント版「小栗上野介情報」15号小栗まつり特集 発行(12日)
プリント版「小栗上野介情報」15号を発行しました。
寺においてあります。村外の方で「たつなみ会」会員の方にはこれからお送りします。

●静岡高等学校郷土研究部 金賞受賞
第43回全国全国学芸科学コンクールで、静岡高校郷土研究部の「米紙から見た万延元年遣米使節」が、人文科学部門で金賞になりました。
本文は旺文社からまとめて発行されている「同 金賞作品集」に掲載されていますが、何年もの部活動で継続して研究を続けていることがわかり、その研究姿勢と構成力に敬服しました。おめでとうございます。

 

最新情報●●2000年5月  


●久しぶりのホームページ刷新(25日)
随所に最新情報が盛り込まれておりますので、ご覧ください。
掲示板は閉鎖いたしましたので、今後のご意見ご感想お問い合わせ等は直接 メールでお願いします。
小栗まつり(21日)
にわか雨、いきなりやんで強い日差し、さながら幕末の動乱を思わせる 天候の中、六百人を越えるお参りの方が詰め掛け、本堂も境内もいっぱ いになりました。

○主な内容
  • 墓前にて読経献香
  • 評論家・中部大学人文学部長
    赤塚行雄先生による
    講演『君はトミーポルカを聴いたか』
  • 群馬マンドリン楽団による
    奉納演奏『トミーポルカ』他
  • 落語・三遊亭遊馬
  • 小栗上野介の実の子孫
    小栗かずまた先生による
    『花さか天使テンテンくん』描き方教室
  • ボランティアによるテントはりと運営

当日の様子はこちらからご覧ください。