小栗上野介情報●● 2000(平成12)年版 *1月はいちばん下です |
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横須賀で小栗関連の行事が行われ、住職村上泰賢も倉渕村小栗上野介顕彰会長や小栗研究会の会員とともに参加してきました。 長井の民宿「井戸隠居丸」で一泊。おいいしいエビやカニをたくさんいただきました。 シンポジウム「小栗上野介」 11月11日午後 ヨコスカ・ベイサイド・ポケットで、横須賀市と開国史研究会の共催 パネリスト 沢田秀男 横須賀市長 西堀 昭 横浜国立大学名誉教授 小寺弘之 群馬県知事 エリザベット・ドウ・トーシェ リール第一大学講師 コーディネーター 山本詔一 横須賀開国史研究会長 発言要旨 沢 田 秀 男氏 万延元年小栗上野介は遣米使節として渡米、アメリカの進んだ近代文明を目の当たりにして日本の近代化の必要性を痛感した。しかし、この功績は明治以後ほとんど歴史から隠されている。たとえば、昭和52年に昭和天皇が訪米したときの報道で、毎日新聞は「勝海舟ゆかりのホワイトハウス・イーストルーム…」として、使節が勝海舟であったと誤報したほど、小栗上野介らの業績は知られていない。 勝海舟には明治維新に際し江戸を守ったという業績がよく知られ、小栗上野介は横須賀造船所の建設を通して、明治以後の日本の工業化近代化に貢献した功績が顕著であるのに、知られていない。明治政府の行った政策のほとんどは、かつて小栗上野介が企画し提案したことを実現したにすぎない。 横須賀造船所の建設を提案したとき、幕府の閣僚や勝海舟は反対し、長州や薩摩も幕府の強化を恐れて反対したが、小栗上野介は日本の国家にとって必要であることを説いて、建設に漕ぎ着けた。 フランスのツーロンをモデルに、その3分の2の規模を想定し、フランスからの借金をして着工した造船所は、明治政府に引き継がれ、司馬遼太郎が「横須賀は日本重工業の源泉」(三浦半島記)と書いたように、日本近代化の基礎を担い、昭和31年にはイギリスを抜いて造船世界一になるに至った。横須賀造船所がなかったら日本の産業国家づくりはかなり遅れていただろうと言える。 西 堀 昭氏 フランスの資料によって、1866年秋に小栗上野介が2、3日間横須賀に滞在して、ヴェルニーの懸案となっていたことがらを協議をしたことがわかる。 その内容は、■財政面での支払い方法、■資材の購入方法、■請負業者の選定方法、■夏冬の労働日数や時間のこと、■職工学校の教育組織と形態や内容、と言った事柄であった。こういった協議を通して二人は親密な結び付きを持つようになり、以後二人は車の両輪の関係のように、順調に工事を進めるについて欠くことの出来ない大事な間柄となった。 「これが出来上がればいずれ土蔵付き売家の栄誉が残せる」と小栗上野介が語ったように、明治政府に引き継がれた造船所は、後の日本の近代化にとって役立つ貴重な施設となった。それは、心をこめて工事に当たったヴェルニーの功績であり、小栗上野介との間に強い信頼関係があったから成し得た、と言える。 幕末から明治にかけてにヴェルニー以外にも、多くのフランスの先端技術を伝える技術者が来日し、横須賀以外にも全国に散らばって技術を伝えた。 フランスは学校教育も広めた。横須賀の職工学校は優秀な学生を育てている。 小 寺 弘 之氏 小栗公に入れ込んでいる私には次ぎのような個人的な体験がある。 ■群馬県の企画課長当時、倉渕村を訪れて斬首碑やお墓を訪れて感激した。そして、もう少しきちんと評価したい、という思いを抱いた。 ■日米知事会議で渡米したとき、ウィラードホテルに泊まったところ、廊下に遣米使節一行の銅版画が掛かっていて、感激した。 ■日仏知事会議で渡仏し、小栗上野介とヴェルニーの関係を説いて、日仏が深い縁で昔から結ばれていることを強調してきた。また日本で最初の近代的な富岡製糸工場もフランス人の指導で運営されている。 歴史の中に人間の賢さと愚かさが見えてくる。 歴史は為政者の都合で曲解されているものが意外に多い。小栗公もその一人で、真実の姿が伝わっていないことが残念に思える。歴史を正しく伝えることが、我々の大事な責任と思う。 エリザベット・ドゥ・トゥーシェさん ヴェルニーが行なった造船所の管理制度は、複式簿記の使用など、日本の制度改良につながる貢献をした。 ヴェルニー小栗祭 12日午前10時から ヴェルニー公園(元の臨海公園) 来賓の、外務大臣代理、フランス大使、群馬県知事、米軍第7艦隊司令官、在日米海軍司令官、横須賀基地司令官、に続いて倉渕村小栗上野介顕彰会長も献花。 市長式辞、祝辞を外務大臣代理、フランス大使が述べて式典は終了した。 3トンスチームハンマー 会場となった公園は幕末に作り始めたドックの真正面にあり、現在フランス風庭園に改装中ということで、仕上げにかかっている様子だった。 市長の言葉では、ここにこれからフランス風の建物を建て、基地から引きだした「3トンスチームハンマー=マザーマシン」を据えて、近代化遺産として展示する予定、だそうです。 現在博物館前の0.5トンハンマーが、国の重要文化財に指定されていますから、こんどは3トンハンマーも指定されることは間違いないでしょう。
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