小栗上野介随想(東善寺)  的を得た処刑・・・とは!?

強盗殺人に匹敵する小栗主従殺害と家財没収が
「的を得たもの」という論理・・・


「小栗上野介の処刑は…的を得たもの」という本

『街道の日本史ー中山道』(吉川弘文館・山田忠雄編著)に

「小栗は、観音山に屋敷を建設する工事を始めた。これを確認した新田満次郎は小栗が砦を作り大砲や鉄砲等を用意し浪人を雇って戦争準備をしていると、総督府に報告した。総督府参謀は、小栗父子を逮捕し処分せよと斥候を勤める原保太郎・豊永貫一郎に命じた。それを受けて、高崎・安中・吉井の三藩に権田出動を指示、水沼川原で処刑された。……小栗の処刑には、さまざまな考えが提示されているが、当時の軍事状況下において的を得たものであるといえる…」
とあるのはいかがなものか。

 
「屋敷を建設する工事を……確認した」のに
 
「砦を作り大砲や鉄砲等を用意し浪人を雇って戦争準備をしている」と、虚偽を告げた

 この新田満次郎のでっち上げの訴えは、そのあと現地検分した高崎・安中・吉井の三藩の使者によって東山道総督府に否定報告されている。その報告を認めず東山道総督府が殺害強行を指示して、実行したことが

「当時の軍事状況下において的を得たもの」

とは、新政府軍の権力の乱用をそのまま認める乱暴な論理である。


 この種の論理は、いつも権力側に都合よく使われる。

 たとえば、ベトナム戦争でベトコンと住民の区別をつけられなくて、多数の住民を虐殺した(例:ソンミ事件)ときも、「当時の軍事状況下で」というつごうのいい言葉で米軍の論理が正当化された。(今またイラクで、米軍は同様の泥沼にはまりこんでいます)

 またたとえば、多くの米国人は「ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下は、当時の軍事状況下で、これ以上の犠牲を出さないために仕方がなかったと考えている」ことが、原爆投下飛行機エノラ・ゲイの復元展示(スミソニアン博物館)をした今年、新聞で紹介されました。
 アメリカ人の考える「これ以上の犠牲」とはアメリカ兵の犠牲だけで、原爆投下でたくさんの罪のない一般の日本人が殺されることは、考慮されていません。いまだに原爆後遺症に苦しむ人、肉親の死を確認できなくて目撃者を探しつづけている広島、長崎の関係者にとって、とうてい受け容れ難い論理でしょう。

 西軍(東山道軍)は小栗上野介と家来三人を殺し、翌日養子又一と家来三人を高崎で殺した。それだけではなく、江戸から東善寺へ運ばれていた、たくさんの家財道具や珍しいアメリカ土産などを、高崎の商人を呼んで売り払い、新政府軍の軍資金にして持ち去りました。「薩摩の御用盗」が江戸の町を荒らしたのと同じ強盗殺人罪に匹敵することを、権田村で新政府の王政復古の名のもとに行なったことになります。

 明治6年から始まった学校教育で、これまでずっと、小栗上野介の業績を教えないできたのは、まさにこの汚点があるからといえましょう。

(2003・平成15年9月)

*揚げ足とりめいた付け足しですが、「的を得た」という日本語は間違いで、「的を射た」と「当を得た」の混用と思われます。