| 小栗上野介随想(東善寺)●● 的を得た処刑・・・とは!? |
| 強盗殺人に匹敵する小栗主従殺害と家財没収が 「的を得たもの」という論理は・・・ |
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■『街道の日本史ー中山道』(吉川弘文館・山田忠雄編著)に |
| 「小栗は、観音山に屋敷を建設する工事を始めた。これを確認した新田満次郎は小栗が砦を作り大砲や鉄砲等を用意し浪人を雇って戦争準備をしていると、総督府に報告した。総督府参謀は、小栗父子を逮捕し処分せよと斥候を勤める原保太郎・豊永貫一郎に命じた。それを受けて、高崎・安中・吉井の三藩に権田出動を指示、水沼川原で処刑された。……小栗の処刑には、さまざまな考えが提示されているが、当時の軍事状況下において的を得たものであるといえる…」 とあるのはいかがなものか。 |
「屋敷を建設する工事を……確認した」のに 「砦を作り大砲や鉄砲等を用意し浪人を雇って戦争準備をしている」と、虚偽を告げた この新田満次郎のでっち上げの訴えは、そのあと現地検分した高崎・安中・吉井の三藩の使者によって東山道総督府に否定報告されている。その報告を認めず東山道総督府が殺害強行を指示して、実行したことが 「当時の軍事状況下において的を得たもの」 とは、新政府軍の権力の乱用をそのまま認める乱暴な論理である。 |
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(2003・平成15年9月) |
| *揚げ足とりめいた付け足しですが、「的を得た」という日本語は間違いで、「的を射た」と「当を得た」の混用と思われます。 |