小栗上野介をめぐる人物紹介(東善寺) ●   安積艮斎 通商交易で富国の道を説いた小栗上野介の漢学の師



小栗上野介の漢学の師
安 積 艮 斎
(あさか ごんさい)
従来の「この像▼は人違いで造られた。正しくは右の想像画のような人物像であった」と安積国造社宮司安藤智重宮司より訂正の連絡があった
2020令和2年12月20日













安積艮斎像 (郡山市・安積国造神社境内記念館前)は人違いの像

 ただし『論語』に「四海の内は皆兄弟たり」と言うし、銅像の方は代役でよかろう・・・ (by安藤智重宮司)    とのこと。

安積艮斎(想造画)
   安積艮斎想像画            

 艮斎の生誕地郡山市安積国造神社(八幡様)境内には、艮斎の像があり、背後の建物三階には「安積艮斎記念館」がある。

 この銅像を寄付した薄皮まんじゅうで知られる柏屋では、艮斎にちなんだ「ごんさい豆」を名物としている。向学心やみがたく江戸へ出る旅の途中、おなかがすくとふところの煎り豆をかじりながら歩いた。「せめてあれに塩でも砂糖でもまぶしてあればましだったのに…」と後年弟子に夜語りしたことにちなむ。大豆一粒を砂糖とキナコでくるんだ素朴な味が評判。

生歿  安積国造神社(福島県郡山市)の宮司の子として生まれる。寛政二(1792)〜万延元年(1860)歿 70歳。墓は江戸堀切の妙源寺(日蓮宗)。
幼名は兵衛、長じて祐助。艮斎は号、字は思順、名を重信、信、 と称した。

江戸へ出奔  文化四年学問を志して江戸へ出奔。佐藤一斎の学僕・門人となって苦学し、一斎の師林述斎にもついて朱子学を学ぶ。

小栗邸に塾を開く 文化十一年(1814)、24歳で江戸駿河台の小栗忠高邸内に長屋を借りて学塾を開く。(13年後の文政十年に小栗忠順・幼名剛太郎・のちの上野介が出生)。  しだいにその学識をうたわれるようになり、塾は何回か移転するが、小栗邸の塾を残してつづけた。入門する者2282人といわれる。

小栗剛太郎の入門   門人帳『授業続録』に「天保六年十月朔日 駿河台 小栗又一様御嫡子 小栗剛太郎」とあり、艮斎46歳、剛太郎は数え9歳のときである。

昌平黌教授  嘉永三年(1850)60歳で、昌平黌教授に任命される。

主な門人 小栗上野介のほか、秋月悌次郎・岩崎弥太郎・前島密、・楫取(かとり)素彦・川路太郎(聖謨としあきらの嫡孫)・木村攝津守・清河八郎・栗本鋤雲・権田直助・高杉晋作・谷干城・中村正直・福地源一郎・箕作麟祥・吉田松陰など幕末から明治期に活躍した2282人もの名前が門人帳に記されている。幕末・明治の動乱期、これらの人物に与えた影響は大きい。


小栗剛太郎(上野介の幼名)の入門控え▲
天保六年十月朔日 駿河台 小栗又一様御嫡子 小栗剛太郎」とあった

門人帳
何冊にも分かれた中から、小栗剛太郎の名をようやく見つけ出した
安積艮斎記念館(東善寺・小栗上野介)  記念写真(東善寺・小栗上野介) 
安積艮斎記念館内
たくさんの史料が保管展示されている。
 
お世話になりました
(右から) タウン誌「街」こおりやま編集長・伊藤 和さん、安積国造神社禰宜・安藤智重さん、住職
 


安藤智重宮司の近著
『東の艮斎 西の拙堂』

                      歴史春秋社 ¥1260円
・2012平成24年12月刊
に「安積艮斎と小栗上野介ーその師承関係」を掲載 

◇安藤智重「安積艮斎と小栗上野介―その師承関係」について

 小栗忠順は、明治維新の三〜四年前(横須賀製鉄所建設を起案のころ)に、「これが出来上がればいずれ土蔵付売家(あるいは土蔵付売り据え)になる」と笑って語っている。

 いずれ日本国を預かっているコ川政権は新しい家主に変わるということを前提とした言葉であるから、「小栗上野介がそのような先見性を持つはずがない。後世の創作であろう」とする一部歴史家もいる。
 
 それに対する答えとも言うべきがこの安藤智重氏の「
安積艮斎と小栗忠順」。

 小栗忠順は艮斎から学んだ朱子学をバックボーンとした「儒将」と言える人物で、「西洋近代合理主義思想と類似した」合理的思考を身につけていたから、主君を
「三たび(いさ)めて聴かれざれば、(すなわ)ち之を()る」(「礼記」)ように、徳川慶喜に対し言うべきことは言ったが容れられなかったので、権田村へ移っている。主君が絶対、徳川家が絶対という考え方はしない。

 朱子学は古代先王の道を理想の政治とするがこれは非現実の政治で、朝廷も幕府もすべて相対的なものとなり、不都合ならばとり替わるべき、と見ている。だから例えば神話伝説ではあるが、古代中国で理想の政治を行ったとされる堯も舜も息子に跡を継がせず、有徳の人物を見出して後継者としている。

 ところが慶喜は朱子学から派生した水戸学を身につけていた。水戸学では、朱子学で言う先王の道を日本の皇室に置き換え、尊王攘夷思想や皇国史観を絶対のものとした。その朱子学と水戸学の違いが忠順と慶喜の違いとなっていると述べる、画期的な小栗論を展開しています。
(村上泰賢)

*「安積艮斎と小栗上野介」は小栗上野介顕彰会機関「たつなみ」37号に掲載のものを転載しています。


         「安積艮斎門人帳」
       出版を祝う会
 2007平成19年11月29日
郡山市の「駸々(しんしん)塾」と安積艮斎顕彰会が貴重な門人帳を発行した。先学の田中正能氏の膨大な研究カードをもとに編集された全ページ写真入り、解説付きで、郡山市民の熱いパワーを感じさせる一冊。幕末の人物研究に貴重な書となるだろう。

◆「安積艮斎門人帳」5000円 希望者は 街こおりやま社内 安積艮斎顕彰会 024−934−5577へ
「門人帳」の刊行を祝って早稲田大学村山吉廣名誉教授が祝辞を述べる。▲
不肖住職も、艮斎が初の学塾を小栗邸で開いた因縁、艮斎から受けた開国通商の説が小栗上野介の株式会社に発展していることを紹介して、小栗公に代わって謝辞とお祝いを申し上げる。
安積艮斎顕彰会長湯浅孝子さんや刊行まで引っ張ってきた駸々塾の伊藤和さん、郡山の女性パワーはすごい!
ここまでこぎつけた駸々塾のメンバーが楽しそうに集い、二次会は翌朝まで続いたとか…
村山名誉教授も二次会に顔を出され、来年4月に「安積艮斎」を刊行予定(明徳出版)というお話をうかがう。郡山の酒はウマイ。
出版祝賀会関連ページ
「福島民報」 1 ◆「福島民報」 2  ◆福島民報 3
関連のホームページ
安積国造(あさかくにつこ)神社(リンク)
門前の小僧さんの「会津の旅」(リンク)

ブログ
艮斎上州史跡めぐり(リンク)