雨さんの画業−1
放送関係
「遠くへ行きたいー吾妻線の旅」
NHK銀河テレビ小説舞台装置のための絵画作品(主演・十朱幸代)
NHK宗教の時間「縁を生かして生きる」(1987年9月25日)

講演関係
栃木刑務所、長野県南安曇郡更生保護婦人会、群馬県身体障害者育成大会、東善寺妙音展(1991年9月)、東善寺施食会(1992年3月)・・など。

出版・装画関係
新潮社、文芸春秋、読売新聞、毎日新聞、集英社、九芸出版、河出書房新車、報知新聞、水上勉、司馬遼太郎、杉本苑子、黒岩重吾、三浦朱門、吉村昭、津村節子、梶浦逸外、小森和子、林伊勢(谷崎潤一郎の妹)など。

執筆関係
報知新聞(道祖神風韻抄を連載)


■何一つ系統だった勉強を身につけない私は現実生活における術を知らず迷い悶(もだ)え、苦しい生活にさらに追い討ちをかけながらも内的流離(りゅうり)の心をもとめた。その迷路の中で、絵を創り、刑務所、少年院、救護院、老人ホーム、結核病棟を訪ね、それら隔絶(かくぜつ)された人々とのふれあいは、さらに窮乏(きゅうぼう)を余儀(よぎ)なくされると同時に生死の思考を深めることになった。

■私の絵がそれまでに売れたのは、銀座全線画廊で、金子孚水という葛飾北斎の研究家が道祖神の木版画を5万円で買い上げてくれたのと、愛宕山画廊の高垣さんが、50万円でもとめてくれた「生と死」と題したアート紙にかいた油彩(ゆさい)であった。それらの金は、もちろん生活費にあてるとともに、自作の版画を複製して施設や孤児院を訪ねる費用ともした。鉄格子のかなたに隔離された少年少女や、離れ小島の幼児達に涙する旅路で精神的な糧(かて)を充(み)たす反面、現実のくらしはさらに落ちこんだ。そのはてに、心ひそかに無宿の旅を考えた。
                               
       雨・横手由男(「望郷」展パンフレット−2)